天使の噺

――平和島静雄は天使なのではないか。

俺は心の底からそう思ったことがある。一度や二度の話ではない。
散々嵌めては化け物と罵ってナイフを向けて、と繰り返してきた俺の告白を真摯に受け止めて、あまつさえ肯いてくれたとき。彼の背に後光が差しているように見えた。それは、主が自分の創造物に向ける際限のない寛大さのようだと、無神論者の俺に想起させる程だった。
天使でなくて人間なのだとしたら、静雄は聖人君子と呼ばれるに相応しい。静雄と恋人という関係に落ち着いてから、それは揺るぎない事実となった。[newpage]――折原臨也は天使なんじゃないか。

俺はその背中を撫でて翼の後がないかを確かめる。ただ殺し合いの喧嘩をしていた頃から幾度となく。
ひどく痛めつけて全治に数ヶ月とかかるような傷を負わせ、それでもなお、懲りずにナイフを携えてくる臨也と対峙したとき。善悪すべてを許容してくれる精神性を感じた。それは不出来な子も受け入れる慈愛のようだった。
自分のような化け物の隣にいては、その気高さが曇ってしまうのではないか。いつも不安にかられていたが臨也は変わらない。その不変に、俺はいつしか、臨也を神のように尊ぶようになった。

――神に近づきすぎた勇者は、その身を焼かれたという。これも同様の報いなのだろうか。

格別体調が悪かったというわけではない。数の暴力に負けただけだ。突然何人にも取り囲まれ、一斉に発砲されては、化け物と呼ばれる俺でも為す術がなかった。
ご丁寧に救急車を呼ばれるはずもなく、小雨の降り始めた路地裏に放置されて何時間経ったのか。見当もつかない。ただ、血が足りなくて目眩のする視界の端の黒い人影が、自分の望む人であればいいと願った。[newpage]シズちゃんが倒れてる。
雨も降り始めた、汚い路地裏だ。傘の一つでも差せばいいのに。ずぶ濡れだよ。
いや違う。シズちゃんが倒れてる、周りは赤い。血の海だ。よく見ると、その血はシズちゃんから流れている。
初めて見るような大怪我。弾痕。
気付いたらシズちゃんの名前を叫んで、駆け寄っていた。[newpage]やっぱり臨也は天使だったのか。
顔のすぐ横にしゃがみ込んで泣きじゃくる臨也の体は、淡く光っている。背中には翼の形をした光も見える。
血と共に失くした体温が戻ってくる感覚。息をする度に引きつるような痛みがあった撃たれた傷は、すでに肉が盛り上がっている気がする。銃弾が飛び出して地に落ちた音もした。
だんだんと、俺の体は癒えてくる。その分、臨也を包む光が強くなって、呑み込まれてしまいそうだ。
やめてくれ。おまえが消えたら意味がない。俺なんか、俺なんか、どうなってもいいのに。[newpage]思い出した。暮らしていた天界のことも、自分が天使だということも、何故自分が地上にいたかも。
罪を犯した俺には、人間一人を幸せにしてくる、という罰が科せられた。天使の力を使わないことが唯一のルールだが、記憶も消して人間として生まれ変わるのだから、わざわざルールにする必要はないだろうと思っていた。
選ばれた人間がシズちゃんだ。俺の罪はシズちゃんの前世に絡んだものだというのに、どうにも上は皮肉を好む。
ルールを破った俺はどうなるのか。考えるより先に体が動いていたけど、後悔はしてない。
力を使うと体を包む光が、だんだんと強くなる。このまま消えるのか。
シズちゃんを助けたことを悔いてはいない。最後に別れの挨拶も出来なかったのが、心残りではあるけど。[newpage]目を覚ました俺は、新羅の家の患者用ベッドの上にいた。セルティがたまたま見つけてくれたそうだが、近くに臨也はいなかったらしい。
それから臨也を見なくなった。天使だと、俺が知ってしまったからだろうか。
まるで昔話のようだと、すっかり忘れてしまった苦笑いを浮かべようとして、失敗した。