餌付け

『君は知らなかっただろうけど、君への告白は掛け値なしの本気でした。それに対しての君の答えが面白半分だというのも勿論解っていたけど、嬉しくて舞い上がってしまうくらいには、君のことが好きでした。
自分で云うのも何だけど、俺も随分と健気だったと思うんだよね。朝はコーヒー一杯で済ませていたけど、和食派の君に会わせて味噌汁まで作ったり。
君が他に恋人を作ったりしていたことも、知っていました。どう考えたって俺の方が遊びだろうから、何も言えなかったけど。
そう、君は、他にいくら恋人を作っても、俺を君の部屋に泊まらせてくれたよね。やっぱりあれは、三食、俺の料理が食べたかったからかな。お弁当まで頼まれたときは、柄にもなく期待してしまいました。
でも、もし、そこまで俺の料理を気に入ってくれたなら、俺も頑張った甲斐があるというものです。
……やっぱり、俺が健気というのは間違いでしょう。数少ない、君が気に入ってくれた特技を復讐に利用しようとしているんだから、こんな俺を健気と称するのは失礼に当たるでしょう。誰にというわけでもないけれど。
でも、誤解しないでください。
復讐といっても、多くの人に迷惑を掛けるようなものでも、君を一生涯傷つけ続けるようなものでもありません。ただ、何かの折りに、ふと俺のことを思いだしてほしいという、悪足掻きです。
俺は金輪際、君の前に姿を現しません。君の居場所であり、大切な人達が暮らす池袋にも、近づきません。
こういうと、君は喜ぶでしょう。
だけど、いつか食事の時に、あの料理が食べられなくて物足りないと、思ってくれないかと、俺は祈っています。
実際、その確率が絶望的に低いことも解っています。
俺がいなくなったことに清々して、俺の料理の味なんて、すぐに忘れるかもしれません。他の料理で十分に満足してしまうかもしれません。逆に、思い出す度に殺意を沸かせてしまうかもしれません。だけど、祈ることも願うことも、そのくらいの自由は許してください。』

カリカリと、無心に紙面の文字を増やす作業をいったん止めて、臨也は冒頭から読み返す。シンプルに罫線だけ引かれた便箋、その二枚にも及ぶ独白に、ゆっくりと目を通す。宛名は書かれていない。
長々と続く手紙ともいえない文章の羅列を読み終わり、脇に置いた万年筆を手に取る。

『こんな事をしてしまったけど、本当は、まだ君のことが好きです。』

最後の一文を書き付けて、万年筆のペン先を浮かす。謝罪は必要だろうかと一瞬悩み、いや、と万年筆のキャップを閉める。想うだけなら自由だろう。
インクも乾ききらない便箋二枚を重ねて綺麗に端をあわせると、上辺を持ち、一思いに縦に裂いた。
宛名を書かなかったのは、そもそも誰かに見せる気がないからだ。
思いの丈を向ける静雄に読ませたところで、臨也自身がしたように、ビリビリと破かれるのがオチだ。どうせ踏みにじられる想いならば、いっそ、自分でやった方が傷は浅い。
原形をとどめない紙片を無造作にポケットに突っ込んで、臨也は最後のチェックを行う。
冷蔵庫にはたくさんの手製の料理を入れた。和食派の彼が好む、鍋いっぱいの肉じゃがに味噌汁、卵焼き二本、炊飯器には炊き込みご飯をセットした。他にも子供舌な彼のため、ハンバーグ三個を冷凍し、シチューとカレーも小分けに、グラタンも冷凍と冷蔵を用意した。特製のドレッシングとレタス、トマト、キュウリなどの簡単な調理で済むものは野菜室に入れてある。プリンは各種十個ずつ、甘いチョコレートケーキを1ホール、フルーツのロールケーキも一本作った。
この料理がどんな扱いをされるのか、それは臨也にもわからない。面倒だとゴミ箱行きになるのか、勿体ないからと嫌々食べられるのか、はたまた。いずれにせよ、より深く静雄の記憶に自身を刻みつけたいと、臨也の考えはそれだけだ。
日用品はすべて回収した。気付かないかもしれないが、臨也に戻る意志がないことを示すためだ。
そうして、冷蔵庫の中の大量の料理以外の自身の痕跡を消して、臨也は部屋から出る。静雄相手に必要ないかとも思ったが、一応鍵をかけて、合い鍵はポストの中に滑らせる。ガチャリと、鍵がポストの下まで落ちた音を聞いた臨也は、振り返ることなく歩き出す。
この後の身の振り方は決めていない。情報屋の廃業の準備は終わっているから、あとは波江に退職金を渡すだけだ。もう、趣味の人間観察をする気にもならない。
どこか静かな街に住もうか、臨也はひとり呟いた。