コックリさん 1

言い出したのは誰なのか。そんなこと、藍子あいこを含めた誰も覚えていなかった。誰もが、自分以外の誰かが言い出したのだろうと思って、放課後の教室に居残っていたのだ。そうしてそのことに、誰も疑問を持たなかった。
教室の中央に移動させた机の四辺を、藍子と美緒みお春香はるか麻里奈まりなの四人で囲んで座っている。足りない椅子は近くの席から借りてきた。美緒と春香の斜め後ろにはそれぞれ詩織しおりゆきが立っていて、二人は立会人のようなものだ。
総勢六人に囲まれた机の上には、一枚の紙と十円玉が置いてあった。紙には拙い字で書かれた五十音と簡略化された鳥居、鳥居を挟んで「はい」「いいえ」の二つの返事が記されている。よくあるコックリさんの図だ。
ゴクリと誰かが唾を呑む。それを合図に、椅子に座る四人は十円玉に指を伸ばした。
「コックリさん、コックリさん、おいでください」
ス、と指を添えていた十円玉が動いて、藍子は悲鳴を上げそうになった。何とか我慢していたら背後から声を掛けられて、今度こそ椅子を蹴飛ばして逃げ出しそうになった。声の主が雪だとわかったから耐えられたが。
小刻みに震える藍子の指を気にせずに、他の四人はキャアキャアとはしゃいで質問を続ける。内容は他愛もないことばかり、けれど四人は熱に浮かされているようで、藍子は背筋が凍るようだった。藍子の背中に張り付いていた雪も、同じ気持ちだったのかもしれない。
しかし藍子が危惧していた事態は起こらずに、コックリさんは順調に進んだ。そうして、教室に差し込む夕日に気付いた誰かの「終わりにしようか」という言葉で解散して、オママゴトのような儀式はそれきりだ。そのはずだった。
翌日、麻里奈が学校を休んだ。滅多に風邪も引かない子だから、クラスメイトは驚いていた。
その翌々日に、春香も休んだ。体調を崩しやすい子だから、お見舞いに行こうかと数人が話すだけだった。藍子はずっと俯いて唇を噛んでいた。
さらに翌日、詩織が学校を休んで――恐怖に耐えきれなくなった藍子は、ある事務所に駆け込んだ。
『怪奇現象調査所』
繁華街の外れにある雑居ビル二階の一つしかないドアに、いつの間にか、そんなプレートが掛かっていた。普段なら絶対に近寄らない場所だ。けれど今は藁にも縋る思いで、藍子はインターホンを鳴らした。
「はぁい」という間延びした声と、それに合わせたような軽い足音がドアを隔てて聞こえる。一歩二歩と数える間もなくドアノブが回って、隙間から茶色い頭が覗いた。
「お客さん?」
その顔を見て、藍子は返事も出来なかった。そのくらいの衝撃を受けたのだ。
柔らかい色の茶髪と濃い色のサングラスで覆われているが、イケメンだ。学校で一番カッコいいと噂の男子よりも、いいやテレビに映る芸能人よりも、イケメンだった。藍子は思わず見惚れてしまった。
「……あれ、迷子かな?」
「あ、違います。あの、相談したいことがあって……」
「そっか、うーん……君、一人?」
心配されていると気付いた藍子は、首から下げたポシェットを顔の前に掲げて声を張る。中には彼女の全財産が入っているのだ。
「あの、お金ならあります。お願いします」
しかし、その主張を聞いて、サングラスの人はますます困ったように笑ってしまった。何かを言い倦ねているらしい。それがまた子供扱いをされているようで、藍子はほんの少しムッとした。
「ちょっと待っててね」
言い置くと、止める間もなくドアに引っ込んだ。ドアの向こうからはくぐもった話し声が聞こえて、そこでようやく、藍子は先客の可能性に思い至った。
「待たせてごめんね、一階したの喫茶店で話を聞くから」
サングラスの人は言葉通りに申し訳なさそうに笑いながら、人差し指で階下を示す。後ろには耳まで覆う眼帯をした男の人を引き連れていた。やはり先客がいたのだろうか。追い立てられるように階段を降りた藍子には、尋ねる暇もなかったが。
調査所の下にある喫茶店は落ち着いた雰囲気の、大人が通うような店構えをしている。駅前の賑やかなカフェすら滅多に入らない藍子にとって、まるで異世界に迷い込んだみたいに感じられた。ゆったりとしたテンポのクラシックが流れているのに、藍子の心は落ち着く隙もない。喫茶店に案内した張本人が「やっぱ下には喫茶店がないと」なんて楽しげにしているのが、少し憎らしく思える。
店内は出入口から奥に向かって細長い。中央に通路があって、入って左側にカウンター、右側には壁に張り付くようにテーブル席があった。出入口手前には二人掛けの席が続き、カウンターが途切れた奥のほうに、四人掛けの席が一つだけある。その奥まった席の壁際をサングラスの人が陣取って、その隣に眼帯をした人が続く。藍子はどちらがマシか選びきれずに、二人の正面、ちょうど真ん中くらいの位置に座った。
「それで、相談って?」
「まずは自己紹介でしょう」
呆れたようにツッコまれて、サングラスの人は今思い出したというように名刺を取り出した。四角い紙には『怪奇現象調査助手』と印字されているだけで、はたして意味があるのかは謎だ。「こいつが所長」と、眼帯をした人の紹介もたったの一文で終わってしまったが。
それにしても立場が逆ではないだろうか。砕けた雰囲気の助手に対して所長は硬い態度を貫いていて、藍子の謎は深まるばかりだ。
「最近は個人情報がどうとか煩くてさ。君のことは取り敢えずAちゃんて呼ぶから、よろしくね」
助手はさらりと笑ったが、偶然にも被ったイニシャルに藍子はドキリとした。
「さて、君の相談したいことは?」
有無を言わせない笑顔と声色に、藍子は訥々と経緯を語る。コックリさんをやったこと、その場にいた友人が立て続けに学校を休んでいること。それから「気のせいだと思うんですけど」と前置きをして、あの日からの気掛かり・・・・を打ち明けた。
「何だか視線を感じるんです」
「……それは、今もですか?」
険しい顔をした所長に問われて、藍子は思わず肩を震わせた。彼女の怯えに気付いたのか、助手が場違いに明るい声を上げる。
「あーほらほら、顔面の圧が三割増しになってるって」
「……すみません」
「ただでさえ強面なんだから」と茶化されて、所長はまたもや眉間にシワを寄せる。しかし何故だか、その表情は拗ねた子供のようにも見えた。
「まーとにかく、現地調査してみないと。だね」
「学校に来るんですか?」
「もっちろん。何たって調査所だからね、基本のだよ」
自信満々に告げる助手に、藍子は半信半疑になってしまう。彼女の怪訝な眼差しに気付いた所長に「ツテはありますから」と、すぐさま取りなされたが。
「それと、君にはお守りをあげるから」
「……お守り、ですか?」
「そ。今のとこ、君に何か憑いてる様子はない……けど僕たちがずっと見守るわけにもいかないから、その代わりにね」
「なにか、て、わかるんですか……?」
肌が粟立つようだった。たとえば心霊特集を見て騒いだって、たとえばコックリさんに誘われたって、藍子はそういったもの・・・・・・・を信じていなかったのだろう。今までは。
けれど目の前に、有り体に言えばオバケがいる可能性を示されて、心臓が冷え切るような恐怖を感じた。
「まあね。僕の目って見た――だけじゃわからないだろうけど特別製だから」
サングラスを外して、得意気な笑顔の助手はパチリとウインクする。その目は「言われてみれば色が薄いような」というくらいの違いしかない、至って普通の茶色い目だ。適当なことを言う彼に、藍子は思わずジト目になった。
「だから君には何も無いよ、それは保証する」
一転して穏やかな声を出した助手は、そのまま、所長に「アレ取ってきて」と軽く言う。対する所長も溜息は吐いたものの、文句の一つも言わずに席を立った。確かに通路側に座っていたのは所長だが、それでいいのだろうか。藍子の胸中に何度目かの疑問が生まれる。
「あいつが所長だけどね、実は僕のが先輩なんだよ」
藍子の疑問を見抜いたような発言だった。何だかやましい事を言い当てられた気になって、藍子は黙り込む。
見た目だけで判断するなら、所長のほうが年上に見えた。物腰なんかも落ち着いているように思えて、助手よりも「年長者の貫禄」のようなものを感じる。なんて正直に言うほど、藍子は考え無しではなかったが。
「……遅くなりました」
「いやーホントホント。もしかして箱根まで行ってた?」
「アナタ、本当に適当なことばかり言いますね」
程なくして戻ってきた所長は、助手の軽口にも素っ気なく返す。そうして藍子を振り返った所長は「お守り」をテーブルの上に差し出した。
それは薄い水色の鈴だった。藍子の親指の先くらいの大きさで、言われなければお守りとは気付かないだろうデザインだ。もっとおどろおどろしいものを想像していた藍子は、案外と可愛らしいお守りに少しホッとした。しかし。
「これをね、学校に行くときは必ず持ってて。忘れないでね」
真剣な表情の助手に念を押すように言われて、藍子は認識を改める。見た目は可愛らしくともこの鈴は藍子の身を守るためのもので、そうして、自覚はなくとも藍子は異常なことに首を突っ込んでしまっているのだ。