コックリさん 2

深夜、両親も寝静まった家の中で、藍子は目を覚ました。ぐっすりと朝まで眠れるタイプの彼女にしては珍しいことだった。
昼に訪れた調査所の二人は、いつ・・調査をするとは言わなかった。けれど日付も変わったまさに今、あの二人は、あの教室にいるのではないか。根拠も何もないその確信が彼女の安眠を妨げたのだ。
藍子は着替えも忘れて鍵も持たず、しかし律儀に鈴だけは引っ掴んで走り出した。
学校に一歩踏み入れると、空気が違った。重苦しくて粘着いていて、息をするだけでナニカに侵入されるような異様さがあった。それが、藍子の教室を中心にして学校全体を覆っている。
自分のせいだ、と藍子は責めた。
止めなかったから、止められなかったから、こんなことになってしまった。止められないなら、参加しなければ良かったのだ。脳内の冷静な部分が「そんなことをしても別の誰かを誘っただけだ」と反論するが、恐慌状態に近い藍子には聞き入れられない。
靴を履き替えるのも忘れて教室に辿り着くと、そこは黒々とした闇に呑まれていた。一瞬の躊躇いのあと、藍子はそっと息を吐いて引き戸に手を掛ける。
戸の向こうには、光もないのにキラキラと輝く白髪があった。くるりと振り返った顔にはサングラスが掛けてあって、そこでようやく、藍子の中で白髪の人物と助手が繋がった。
「ああ、やっぱり来ちゃったんだね」
「……まさか誘導したんですか」
助手の傍らに立つ所長が、動物の唸るような声を出す。それに対しても肩を竦めただけで、助手は堪えた様子もない。藍子のほうがよほど怯えてしまっていた。
「それこそマサカ。ただ、来ちゃいそうだなとは思ったんだよね、何となく」
「だからあのお守り・・・ですか」
「そ! ちゃんと持ってきてエライねえ」
応えるように、ポケットの中の鈴が小さく鳴った。恐る恐る取り出してみると、ほのかな温かさが藍子の掌に伝わる。まるで鈴自体が熱を発しているようだ。
二人の会話の応酬は喫茶店にいたときと変わらない。その場違いな明るさに、藍子の緊張はわずかに解けた。
「落とさないようにしっかり持っててね」
「それと、あまり身を乗り出さないように。危ないので」
「ここにいる時点で今更だろ」
呆れたように言い返してから、助手は前方――藍子のいる反対側、教室の中央に向き直る。教室を満たす闇はそこから生まれているようだ。何もわからない・・・・・・・はずの藍子にも、そこにナニカがいることは感じ取れた。目を離せないでいると、ぐらりと闇が揺らいで濃淡にムラが寄る。その薄い部分に藍子の見知った顔がいた。
「雪……?」
呆然と呟いた声を聞き咎めたのか、振り向いた助手は眉を寄せている。端的に「知ってるの?」と訊かれて、藍子は力無く頷いた。闇の中央、雪がいるあたりからは、雷のような重低音が絶え間なく響いている。
「友達、です……コックリさんのときにもいました」
雪は転校生だ。コックリさんを一緒にやった五人の中では、一番付き合いが短い。しかし時間なんて関係なく、藍子の一番の仲良しは雪だった。お泊り会だってしたことが、と考えて、藍子はおかしなことに気付いた。
「私、雪のお父さんもお母さんも、知らない……」
雪の家に泊まったとき、彼女の両親に挨拶をしたはずだ。なのに顔も名前も何も思い出せない。一つ異変に気付くと、メッキが剥がれるように他のおかしなこと・・・・・・・・に目が向くようになる。そもそも、その家の場所すら思い出せない、だとか。
「……残念だけど、あれは人じゃない。今回の元凶だ」
闇の中央、雪と呼んでいたナニカを見据えたまま、助手は藍子に告げる。その声はひどく優しげだ。優しく、しかし残酷に、藍子に真実を見せる。
「君たちを使って喚び出そうとした。あれを……倒せば、みんな元通りだよ」
全く気負っていない素振りの助手は、緩く腕を曲げて、顔の前に人差し指と添えた中指を立てた。
「ちょーっと、目ぇ瞑っててくれるかな」
肩越しに振り向いた彼がどんな表情をしているのか、藍子の潤んだ目ではよくわからない。けれど水に濡れた彼女の視界の中でも、その目が宝石のように青く輝いていることはわかった。