原因は、きっとその日の任務にあった。
目的地はカップルで訪れると破局するだか長続きするだか、ありがちな噂の元となっている、某県某所の池。噂話程度なら呪術師の出る幕ではないが、それを確かめに行ったカップルや野次馬やらが被害に遭ったらしく、高専にお鉢が回ってきた。全く傍迷惑なことだ。
しかし任務として課されたからには、祓除しなければいけない。斯くして、等級的にも術式の相性的にも問題無く、されど油断なく恙無く、七海は任務を終えた。はずだった。
祓除対象の消滅を確認し、それを裏付けるように帳も解除されたとき、それは七海の体を貫いた。恐らく心臓のあたりを、寸分違わず一撃で、それはそれは見事な手腕だった。
息を潜めていたのか、はたまた瀕死の体だったのか。七海が振り向いたときには呪霊の残穢も視えず、それは合流後の五条も同意していた。そうして七海は、正体も術式も不明の呪いを受けることになったのだ。
「七海はさ、自覚症状はないの?」
「あ……りま、せん」
グイグイと顔を近付けてくる五条はアイマスクを下げて、その不思議な青い目を晒している。残穢を視るためであって他意はないと理解していても、七海は顔が熱くなるのを止められなかった。
信用と信頼はしても尊敬はできず、明け透けに言えば、七海にとって五条は恋愛対象外だった。なのにどういうことか、一度「かわいい」と思ってしまってから、まるで恋をしているかのように気持ちが浮かれて落ち着かない。自分はこんなにメンクイだっただろうかと、七海は愕然とした。
「うーん、見たことない呪いだね」
「……そうですか」
七海は不躾な五条の視線に呆れたふりをして、顔を逸らす。そうでもしないと、うっかりと本音が口から零れそうだ。けれど名残惜しさにちらりと流し見て、七海は後悔した。思ったよりもずっと近く、睫毛を数えられそうな、いやその目に映る七海の顔を判別できそうな距離に、五条の顔がある。近過ぎだ。
思わず顔を覆って後退ると、五条も負けじと七海の顎を掴んで引き寄せた。
「ちか、近いです、五条さん……」
「近くじゃなきゃ見えないんだから仕方ないだろ。隠すなって」
顔を覆う手を引き剥がされて、ついでに七海のサングラスまで外されて、五条と七海の視線がぶつかる。
どんな至近距離で見つめても、五条の顔には粗が見つからない。グッドルッキングの自称を自惚れと笑えないくらいには、その容姿は整っている。高専の頃から知っていたことだが。
「かわいい」
「は?」
一度溢れてしまえばもう止まらない。「きれい」「かっこいい」「うつくしい」など、語彙も思考力も溶けた賛辞が、七海の口から溢れていく。そんな七海の奇行に、怪訝な顔をしていた五条が遮るように「あ」と声を上げた。
「なーるほど。七海クンてば、そんなに僕のこと好きなんだねえ」
「違います。これは呪いの影響で」
「そ、ポロポロ言っちゃうのは呪いのせい。でもわかってんだろ?」
にんまりと、五条が口角を上げる。まるでチェシャ猫のようだと、七海は幼い頃に読んだ絵本を思い出す。
「それ、オマエが思ってることしか言えないんだよ」
「クソ……」と力無く漏れた言葉は、確かに、七海の心からの本音だった。そうしてそれから止まらなくなった五条への拙い褒め言葉の数々も、同じく七海の本音だった。
「……あの、解呪できないんですか」
一頻り、五条を拙い言葉で褒め称えたあと、ようやく七海の口は止まった。この隙にと、七海は微かな希望をかけて五条に尋ねる。五条はキョトンとしたように小首を傾げてから、戻したアイマスクを外してまた七海を覗き込む。晒された青が美しい。零れそうな褒め言葉を呑み込んで、七海は息を詰めるに留めた。
「できないんじゃないかなあ。ありがちだけど、日にち薬しかないと思うよ」
「……そうですか」
「そうだねえ。でもま、一応、硝子にも診てもらおっか」
軽い調子の五条に先導されて、七海は高専に戻り、その足で家入の元へ向かった。後に詰まった任務はないから何事もなければ直帰も出来たはずなのにと、七海は自身の運の無さを嘆く。そうして訪れた先では、五条の見解が正しいだろうという補強を得るだけだった。
「まあ、任務も入ってないなら様子見が妥当じゃないか」
「やっぱ硝子もそう思う?」
「五条が視てわからないなら、私に出来ることはそう無いしね」
「そうですか、……ありがとうございます」
ガックリまたはションボリと、七海は柄にもなく落ち込んでいたのだろう。家入には「三日経って改善されないならもう一回診るから」とフォローされ、五条には加減を間違えた強さで肩を叩かれた。二人ともそれぞれに不器用なところがあるから、励ましのつもりなのかもしれない。
「ま、ここにいても邪魔になるだけだし、とりあえず収まるまでは僕の家にいること」
「わかった?」と決定事項を確認する五条に、叶うことならお断りしたい気持ちでいっぱいだ。けれどそれが合理的な判断によるものだと理解しているから、七海は押し黙って重々しく頷くほかない。
あれよあれよという間に諸々の支度が整えられて、最長三日間、七海と五条は一つ屋根の下に暮らすことになった。