食事は簡単だ、と言ったのは家入だったか。確かに「介護」と言われてイメージするよりは、手は掛からないかもしれない。ならば楽かと訊かれれば、七海は首を傾げてしまう。
屋敷に来てから二日目の朝、二度目の食事の時間だ。ベッド脇のテーブルに五条を座らせて、角を挟んだ隣に七海も座る。テーブルの上には五条の分の食事が並べられていた。
「口を開けてください」
七海の言葉に反応して、五条がパカリと口を開く。隙間に覗く赤い舌から目を逸らしつつ、七海は切り分けた煮物を五条の口に放った。七海が「食べてください」と促せば、数回の咀嚼の後、五条の喉がゴクンと動く。
雛鳥のような、と言えば聞こえは良いかもしれない。しかし相手は一つ上の先輩で、どちらも成人をとうに超えている。異様な絵面だ。しかも七海は介護職でもなく、五条の家族でもない。食事の補助は自ら立候補したこととはいえ、一体何をやっているのだろうと、七海は内心でぼやく。暇を持て余しすぎた結果の気の迷いとしか言えないが。
点滴のほうが管理は楽だが、外部刺激を与えることで回復が早まる、かもしれないらしい。そう言われてしまえば、七海に反論の余地はない。黙々と五条の口元に箸を運ぶだけだ。
食事の指示には従うが、五条は空腹も満腹も訴えない。食べなければ気絶し、食べ過ぎれば吐くのではないか、と家入は推測している。そうならないように、定刻に、栄養バランスを整えた食事を摂らせているのだ。食事を終えればブドウ糖のタブレットも待っている。
栄養面だけで見れば完璧だ。ブドウ糖も摂っているからエネルギー不足の心配もない。
効率厨の五条は案外満足かもしれない。が、七海は、彼が好物を食べたときの顔を知っている。口角を上げて眉尻を下げて、表情筋全てを使って喜びと嬉しさを表す笑顔を、知っているのだ。
なのに、五条の好みそうな甘いお菓子たちは、今の彼の食卓には並ばない。栄養、エネルギー、食べさせやすさ――どれを取っても、もっと適したものがあるからだ。それを口惜しいと思っているのか、あるいはそんな扱いを受ける五条を哀れんでいるのかは、七海自身にも判断できないが。
ブドウ糖まで食べさせたら、片付けを任せて七海は自身の食事に取り掛かる。幼い五条を知る使用人が作る料理は、辛味苦味は控えめで、優しい甘さとしっかりとした出汁が際立つ。老舗料亭にも引けを取らない品々だ。護衛の身なので手早く、しかし味わって噛み締めて七海は平らげていく。
食べている間も横目に五条の様子を窺うが、中空を眺めてジッとしている。目を開けたまま寝ていると言われたら納得しそうだ。同じテーブルにつく七海にも、五条の傍らで手際良く膳を片付ける使用人にも反応しない。全くの無だ。
「七海さんもお済みでしょうか」
最後の一口を食べて箸を置くと、待ち構えていたように声を掛けられた。虚を衝かれた七海が小さく頷くと、攫うように瞬く間に、目の前から食器が消えていく。
「……すみません」
「いえ、七海さんには護衛をしていただいているので、このくらいは」
ニッコリと微笑むのは七海と年の近い使用人だ。七海と、七海の手の回らない範囲での五条の世話は、彼が一手に引き受けているらしい。気詰まりしないようにというせめてもの配慮だろうか。
膳を乗せたワゴンとともに立ち去る使用人を見送り、七海はさて何をしようかと頭を悩ませる。昨日一晩で身に沁みたが、この屋敷の時間は苦痛を感じそうなほどにゆっくりと流れている。暇になるぞと家入に脅されて積読つんどくを持ち込んだが、この分では明日にでも読み切ってしまいそうだ。そう思ってから、今日中には五条が回復しないと考えている自分に気付き、七海は深く項垂れた。