ワーカホリックに慣れた五条としては、高専住まいは断トツの利便性だった。それを手放す決断をするに至るまでには、もう涙なしでは語れない物語がある。わけではない。
一年ほど前に脱サラして呪術師として復帰した七海が、何かにつけて物を贈ってくるのだ。すわ賄賂かと一時期は疑ったりもしたが、普段の態度から、その可能性は排除した。
五条としては、七海は高専時代から目をかけて可愛がっていた後輩なので、交遊を深めるのも吝かではない。なので賄賂でないと判断してからは、五条からも積極的に七海に絡んでいった。そうなると七海と会う回数も増えて、贈り物の回数も格段に増えた。
贈り物といっても、大抵は一緒に食べられるお菓子だったりの、消え物ばかりだ。けれどたまに贈られる、それ以外の、たとえば服だとかもチリツモで増えていった。
そうして、とうとう五条の部屋の収納から溢れた。
そもそも高専の教員用の居室なんて狭いものだから、特注サイズのベッドを搬入したら、収納は猫の額ほどのスペースになってしまった。五条はあまり私物を持たないほうだから、まぁそれでも問題はなかった。今までは。
はぁ〜〜〜と、五条にしては珍しく大きな溜息を吐く。七海の癖が移ったのかもしれない。
五条のコネと財力を持ってすれば、好条件を極めた物件なんて選り取り見取りの選びたい放題だ。ここぞとばかりに、東京に別邸を用意しようとする取り巻きをあしらうのが面倒だったくらいで。
五条は、握り込んだ右手を開く。金属音とともに覗いた中には、銀色の、一般的な住宅用の鍵がある。力任せに握り込んでいたから、五条の手のひらには鍵の痕がついてしまっていた。
合鍵だ。五条が新しく購入した家のものだ。
それをどうするか、五条はここのところ悩んでいる。
何もせずに仕舞っておけばいい、とは思う。しかし五条はつい先日、七海の家の合鍵を渡されていた。
約束を取り付けていても急な任務が入ることも珍しくない業界で、しかもそれをホウレンソウできるとも限らない。待ちぼうけすることのないようにという七海の心遣いだが、正直ありがたい。
その時は五条の住居は高専にあったから、ありがたくもらうだけで終わった。けれど今、五条の手には五条の家の合鍵がある。
渡したほうがいいのだろうか。渡したほうが良い気はする。渡すのが誠意なのではなかろうか。そんなことが、五条の脳内を巡る。
よし、と、五条は腹を括った。
◆ ◆ ◆
「七海、これ」
「はい?」
五条は七海の前に握り拳を突き出して、パッと開く。そこから銀色に輝く何かが落ちるのを目視して、慌てて七海はキャッチした。
咄嗟に握り込んだ左手を開くと、七海の手の中には鍵があった。
「これは?」
「僕の家の合鍵」
七海は開いた口が塞がらなかった。目の前の五条は居心地が悪そうに頬を掻いているが、七海は知ったこっちゃなかった。
七海が合鍵を渡したのは、下心ありきだ。五条が七海の家を訪ねる回数が増えることと、五条が少しでも七海のことを意識しないかということを狙っての行動だった。
恋愛事に疎い五条のことだから、七海に合鍵を渡すことに、深い意味などないのかもしれない。けれどそうでもないかもしれない。七海は、この頃の五条の態度の変化に手応えを感じていた。
七海は勝率の低い賭けには乗らない主義だが、賭けてみてもいいかもしれない。そう思う程度には、五条の態度には違いが現れていた。
賭けに負ければ、今の先輩後輩という関係性も崩れてしまうだろう。隠していた下心が露呈すれば、五条は今までと同じ距離感で接してはくれないだろうから。しかし。
「これは、期待しても良いということでしょうか」
手持ち無沙汰に襟元をいじっていた五条の右手を掴んで、七海はその上に自分の右手を重ねた。七海からの接触に、五条は大袈裟に体をビクつかせた。
イケる。七海は確信した。
「私がアナタに合鍵を渡したのは、下心からです」
「……そんなの、聞いてねーし」
「そうですね。初めて言いました」
七海が撫でるように右手を動かすたび、五条の頬の赤みは増していく。七海は五条の表情を注視した。
「それで、これは同じ意図だと思っても?」
「いい、よ」
耳まで真っ赤にさせて消え入りそうな声で返す五条は、大層可愛らしかった。