五条に「何か欲しいものある?」と尋ねられたのは、退院の目処がついた頃だった。快気祝いという名目で、要は〝七海が退院できることをとても喜んでいる〟五条が何かしたいということらしい。大概の事なら財力と権力に物言わせそうな張り切る五条に、七海は取り敢えず落ち着いてほしい旨だけ伝えた。
欲しいものと訊かれて、まず浮かんだのは消耗品の類だ。量があっても困らない、期限のない、生活必需品の数々。しかしこれを快気祝いとして頼むのは気が引ける。
次に浮かんだのは食事だった。消耗品とさして変わらなくも思えるが、七海にとっては五条と二人で食事という点が重要だ。五条の知る名店に連れて行ってもらうでも、お高い取り寄せ品を頼んで家で振る舞うでも良い。とても良い案に思えた。
けれどそれよりも、七海の心に引っ掛かったのは五条からの手紙だった。最初の、走り書きのようなたった一枚。無粋と自覚しながら詳細を尋ねて、五条が渋々と教えてくれたその背景。
一瞬思案してから、七海は「海を見たいです」と独り言のように呟く。その呟きに含められた意味を、五条は時間差でしっかりと理解した。それから顔いっぱいで〝嫌です〟と表明しながら、頷いてくれた。
そうして連れてこられた海岸線の崖地は、お世辞にも名勝と呼べる景色ではなかった。快晴の日は数えるほど、風は強く吹きつけ、海面は荒れることが多いらしい。夢の中、延々と歩いていた場所を思い出す。
先導する五条には何度か、「本当にここで良かったの?」と訊かれた。そのたびに「ここが良かったんです」と返したが、五条は煮え切らない表情をするばかりだ。
辛うじて舗装された道を歩き続けると、海に突き出た先端に着く。波の音が足元から聞こえるようだった。
「……どうかな」
「アナタはどう感じたんですか?」
「僕は……きれいだって思ったよ」
慌てるように、「まあ六眼の影響が少なくなったからだけど」と五条は付け加えた。その言葉を聴いて、もう一度、七海は目の前の海と空に目を向ける。
ここまで来ても、景色への印象は道中と変わらない。けれど五条の手紙を思い返せば、あの日五条が感じた思いを想像すれば、七海にとっても特別な景色に感じられる。それに鈍色の空と荒れた海は、今の五条の目の色に似ているようにも見えた。
そんな惚気に似た何かは胸にしまい込んで、七海は端的に今の想いを返す。
「私もです」