続 まるでラブレターのような 2

七海の目覚めの第一声は五条の名前だったらしい。大層呆れた顔の家入に教えられたことだから、きっと事実なのだろう。
七海にも心当たりはあった。意識が覚醒する直前に、顔は俯き肩も落とした七海が呼んだ、彼の名前。それが口からも出ていたに違いない。
感情を煮詰めたような声を聞かれたのは恥ずかしい限りだが、寝言のようなものと開き直ることにした。何せ七海には、そんなことよりも余程優先度の高いものが目の前にあったので。
以前よりも重たく感じる腕を動かして、缶の中から封筒を取り出す。裏にも表にも何も書かれていない、一般人なら、本当に自分に宛てられたのか疑うものだ。けれど微かな残穢が七海に差出人を教えてくれる。
慎重に封を切って便箋をを広げれば、お手本のような流麗な文字が並んでいる。性格とは正反対だとか散々と揶揄われていたことが思い出される。
一字一文ごと、目に入るたびにあの声が聞こえるようで、七海は山となった手紙に読み耽る。まるで夢の中に舞い戻ったようだ。一度そう感じてしまえば、手紙の内容と夢の中で降ってきた言葉が、全て同じに見えてくる。七海の感情は大きく揺さぶられた。さながら目覚めたときのようだ。
差出人と同じく厄介なことに、一通読むごと、残りも読みたいという七海の焦りは募っていく。お陰で、七海の起きてからの入院生活は手紙一色となった。積読消化をしていたときだって、こんなにも〝読むこと〟に熱中してはいなかった。それほどまでに引き寄せられたのだろう。五条の本心とも言えそうな率直な言葉の数々に、知られると意識しないで書き出した一文に。
黙々と咀嚼していると、夢の中からずっと持て余していた感情・・が輪郭を持ち始める。色付き始める。それが何なのか、名前が付きそうになっていく。
消灯時間には取り上げられるほど集中しながら、数日。開けていない封筒も僅かとなった頃、五条が訪れた。彼の焦った顔など久し振りに見るが、七海の興味は依然として手元の封筒にある。挨拶もしない七海に対して、その態度を指摘するでもウザ絡みするでもなく、五条は黙ったままだ。七海が目を覚ましていることに驚いて言葉もないのかもしれない。カーテンのはためく音と紙の擦れる音と、そのくらいしか物音がなかった。
入ってきたままの姿勢で固まる五条を尻目に、最後の一枚を読み終えた七海は顔を上げる。そこに至って漸く、五条がアイマスクをしていないことに気付いた。七海も当然サングラスをしていない。隔てるもののない視線が交わった。
「……七海」
五条は茫然とした表情のまま、七海を呼ぶ。思わず漏れたというような、彼自身が何と口にしたか理解しているかも怪しい口振りだ。それから七海が手にしたままの封筒に視線を移して、何事か言い淀むように口を動かす。
「それ、読んだの」
「私宛てのものなので」
〝置いていったほうが悪い〟と責任転嫁するような言い方だ。五条は口を開いて閉じて、言い淀むというよりも、言ってやりたい言葉が思いつかないように見える。このまま待っていたら小学生のような悪口が聞けるかもしれない。たとえば以前押し付けられた、手紙と呼ぶには不躾な走り書きのような。
「……アナタ、こんな手紙も書けるんですね」
七海が寝ている間に送られた手紙との落差を考えると、思わず笑いが溢れてしまう。馬鹿にしているようにも見える七海の笑いに、しかし五条は黙ったままだ。その五条の首が赤く染まっていることに、七海は気付かなかった。