湖畔を離れても 二人のこれから

「オマエさ、まぁた社畜してんの?」
またもや形勢逆転した七海の左手に恋人繋ぎで右手を拘束されながら、五条は気掛かりなところを直球で尋ねた。何せ七海の目の下には、ホワイトな環境で働けているとはとても思えないくらい、くっきりと色濃い隈が居座っている。思わず心配にもなるというものだ。
一方、問われた七海のほうは虚を衝かれたと言わんばかりに目を丸くしている。さっぱりと自覚はなかったらしい。
「脱サラしたときみたい。顔色悪すぎだろ」
身を乗り出してその目元を擦ると、七海はサッと頬を赤らめた。つい今し方までのほうがずっと近い距離だった気もするから、七海の羞恥心のツボは五条にとって難しい。
「そ、うですね、まぁ……」
「ふーん、ワーカホリックって治らないもんだねぇ」
茶化すように笑えば、七海は顔を伏せて五条の視線から逃れた。身に覚えがあるのだろう。
そのときふと、五条の脳裏にピカリと閃くものがあった。
「もしかして、また脱サラする?」
「……だとしたら何だって言うんですか」
「ん〜、再就職のオサソイ?」
「は?」
七海の目元に添えていた左手を引っ込めて、五条は自身のスマホを取り出す。
スイスイと一つ二つの操作をすれば、畏まってお行儀良い笑顔で写真に収まる五条の姿が、サムネイル画像として表示される。それはネットニュースとしても大々的に取り上げられた、そこそこ名の知れた小説賞の一幕だ。五条はその賞を、「期待の新星」なんて大層な看板を引っ提げて受賞した。
「僕さぁ、今こんな感じでセンセイやってるの」
「……これの作者、アナタだったんですか」
「お、知ってる? なら話は早いな」
五条は、執筆に集中すると寝食を忘れること、その件で専属担当に苦言を呈されたことを説明する。ついでにその専属担当が伊地知であることも添えれば、七海の眉間には再びシワが寄った。伊地知に負担がかかっていると知れば、七海の性格からして断らないだろうという五条の目論見は、見事に当たったようだ。
「それで、七海が家政夫兼監視役として就いてくれたら僕も伊地知も万々歳って感じだろ?」
「私が断ったらどうなるんですか?」
「そしたら……家政婦雇って、監視は伊地知かなぁ」
「出来ると思えないけど」と五条が本音を零せば、七海は長い溜息を吐いた。これは了承ということだろう。
「わかりました。ですが引継ぎもあるので、スケジュールの調整はさせてください」
不承不承というていで頷く七海に、五条は左手親指と人差し指で丸を作って上機嫌に返す。
「そーだ。僕の家、部屋余ってるから住み込みでも良いよ」
「……アナタ、正気ですか」
唸るように言った七海の顔は、前世と合わせても滅多とないくらいに険しく顰められていた。