すわ肋骨でも折ったかと恐る恐る目を開けば、目の前には真白い毛並みが広がっていた。見覚えのある毛の塊をなぞるように視線を上げていくと、そこにはこれも見覚えのある白猫の顔がある。その表情は、やはり苦虫を噛み潰したようだ。
睥睨する白猫は微動だにせず、再びたしーんと尻尾を打ち付ける。腹のあたりに響く衝撃から、この白猫に全身で伸し掛かられていることを、草太は理解した。
「何で、そんな不満気なんだ……」
勝手に来るくせに、という言葉は流石に呑み込んだ。けれどそんなことはお見通しというように、白猫は鼻を鳴らす。器用なものだ。
草太の胸を踏み台にひらりと身軽に飛び上がった白猫は、音もなく床に着地した。そこで漸く、寝転がっているのが自宅の床の上だと草太は気付いた。布団もなく寝ていたにしては寒さも体の強張りもなく、これが現実ではないことを実感する。夢の中にしては、四つの足に踏みつけにされた胸は呻くほど痛かったが。
ゆらゆら動く尻尾を視線で追えば、白猫は壁の前で止まった。そこには今週末に行こうと調べていた、関東近郊の山奥の衛星写真が貼られている。中心部分の三箇所の赤いバツ印は縮尺のお陰で近場に見えるが、実際には距離があり、一日での踏破はなかなかの苦行だ。
その写真の中心から外れた左下の辺りを、たしたしと肉球が叩く音がする。いつだか教えてもらったが、ダイジンは後ろ戸を開いていたのでなく、その場所を示してくれていたらしい。つまり。
「後ろ戸はそこにあるのか?」
白い毛並はそよりとも動かない。
「……後ろ戸は、そこにもあるのか?」
やっと気付いたかとでもいうように、白猫は鼻を鳴らす。その表情は、それはそれは小憎たらしかった。
「と、いうことがあったんだ」
『ダイジン、変わんないですね』
鈴芽の控えめな笑い声が通話口から聞こえる。潜めた声は耳元で囁かれているようで、草太はこそばゆく感じられた。
『……でも、草太さんばっか、ダイジンと会ってる』
「いや、あっちが勝手に出るんだ」
ダイジン自身の気持ちとしては、きっと草太よりも鈴芽に会いに行きたいはずだ。夢の中では「来たいわけじゃない」という意思を隠そうともしない。可愛げを捨ててきたような態度を思い出して、草太の声には苦いものが混じる。
『ズルいです』
「え」
『ダイジンに会える草太さんも、草太さんに会えるダイジンも、どっちもズルい。羨ましい!』
「え」
『おやすみなさい!』
「おやすみ……」
反射で四文字の挨拶を返してから、通話を終了させられたスマートフォンを見つめる。茫然としながら、草太は鈴芽の言葉を反芻した。
「羨ましいって、なんなんだ……」
どれだけ考えてみても、その真意は理解できそうになかった。