男子高生の話

君塚は神尾の孫息子だ。
神尾の長女の息子で、祖母の家とは俗に言う「スープの冷めない距離」に住んでいる。この春、君塚はかねてより希望していた、部活動に力を入れている地元の高校に入学を果たした。中学でも所属していた陸上部に入部して、日々楽しく励んでいる。
今、君塚の通う高校は一つの噂で持ちきりだ。祖母にはあまり心配させないようにボカして伝えたが、実際の噂は大分ホラー染みている。
噂には、そういった類いを信じていない君塚でも、ちょっと不気味に感じてしまう抽象的な気味の悪さと、妙なリアリティがあった。
その日、君塚は部活動を終えて帰路についた。居残りはしなかったから、外は夕日が差していたが充分に明るかった。
君塚の自宅と高校の往復は、大通りだけを使う経路でもいけるが、一本奥に入った路地を使う方が少しだけ早い。路地といっても道幅が狭いだけで、怪しげな店もない、学生もよく使う道だ。
だから、油断していた。
油断してはいけない事態になどならないだろうと思うこと自体が、油断なのだ。しかし誰だって、日常のなかでそんな事態に巻き込まれるなんて想像もしていないだろう。

ひたすら、必死に、君塚は走る。
ナニかに追われている。止まったら良くないことが起こる。それだけしか解らない。追ってきているナニかの姿は見えないが、息遣いが伝わってくるようだ。
いつも人通りの少ない路地といえど誰ともすれ違わないのも異常で、おそらく背後のナニかの仕業だろう。
走って走って、この路地はこんなに長くなかったはず、などという違和感はもう捨てている。疑問に思って頭を働かせるよりも、ひたすら走って在るかもしれないゴールに向かう方が重要だ。
足の痛さは我慢できても、酸欠はどうにもならない。喘鳴のしていた喉はとうとう限界を迎えて、胸元を押さえながら大きく咳き込む。体勢が崩れた拍子に、足がもつれて前のめりに転がった。
逃げなきゃ、と頭を上げる。
「大丈夫ですか?」
スーツ姿の脚が見える。脚を伝うように顔をあげると、金髪で変わったサングラスをした男性だった。見たことない顔だ。
男性は君塚の横をすり抜けて、おそらく背後にいるナニかと君塚の間に立ちふさがった。背後のナニかは近寄ってきていないようだ。何故だろう。
男性はおもむろにジャケットの下に手を伸ばすと、そこから布にくるまれた大きな包丁のようなものを取り出した。一歩二歩、大きなストライドで踏み出した男性は、包丁を肩を使って大きく振り下ろした。
おそらく包丁を叩きつけられたナニかは倒されて、路地に充満していた嫌な空気も消え去った。
振り返った男性に話しかけられていることを認識した時点で、限界に達した君塚の意識は闇にのまれていった。