ビトゥイーン・ザ・ナイトメア 事の起こり

七海に動画を見せてもらったとき、五条は少女の正体を一目で察せた。七海には漏らしていないが、少女は五条家の分家の末端の末端で、誘拐されたというのは当主となった五条の耳に入っていたのだ。正しくは行方不明として、だが。
今回の件で誘拐と確定したが、当時は行方不明、それも呪霊の仕業だろうとされていた。血は薄れたといえど術師の末裔で、事件を裏付ける物証もない。呪術界は呪霊の仕業と早々に断定して、捜査を打ち切るように圧力をかけた。
あるいは一連の流れも含めて、呪詛師の計画の通りだったのかもしれない。非術師寄りの家庭で育っていた少女の誘拐が取り沙汰されていなかったのは、真実、呪術界の因習の弊害だ。
五条は、七海にそれを知られたくなかった。呪術界に嫌気が差して去っていった七海が知ったら、また遠くに行ってしまう気がした。七海は非術師の世界でも生きていけると証明されてしまったから、尚更だ。
少女の今後を思えば、非術師の世界に帰ったほうがいいのかもしれない。そう考えて、五条は敢えて数年前に放ったらかしにされた事件を蒸し返し、警察を介入させた。五条家のツテを使えば、そんなことは朝飯前だ。
七海は五条の行動に怒ったようだった。五条も、七海は怒るだろうと予測していた。七海を怒らせたとしてもこの行動が最善だと考え抜いた結果、五条は行動に移したのだ。
誤算だったのは、七海が事件の後始末中の現場に乗り込んできたことだ。七海は任務に深入りするタイプではない。後日、個人的に五条に詰め寄ることはあっても、現場に乗り込んでくることは想定外だった。
表面上は、気付かれることはなかったと思いたい。いつも通り、どちらかというと自分の思惑が無視されて少し不機嫌な「五条悟」を演じられていたはずだ。
けれど想定外の事態に、五条も動揺していた、というのは言い訳だろうか。最強が聞いて呆れる。
態度にこそ出さなかったものの動揺の渦中にあった五条は、少女の接近に気付けなかった。剰え七海の名前を呼んで、七海の気を逸らしてしまった。七海が体勢を整えて真正面から呪力を浴びていたら、もしかしたら昏倒はしなかったかもしれない。悪夢に魘されることもなかったかもしれない。
自省と自戒に囚われて、けれど何の足しにもならない自責はすぐさま振り払った。五条は少女の術式を思い返しながら、ベッドに横たえられている七海に近付く。術式由来の昏倒だったから、運び込まれたのは高専の医務室だった。長丁場となるなら高専の息のかかった病院に移されるかもしれない。
布団からはみ出た七海の左手を、そっと持ち上げる。温かい。穏やかな寝顔を見ていると、ただ仮眠を取っているだけのようにも思える。しかし七海に覆い被さるような残穢が、その錯覚を打ち砕く。おそらく、これはあの少女の呪力によるものだ。
七海を連れて行かれないように、五条は七海の左手を包んだ両手に、ギュッと力を込めた。五条の呪力が影響したのか、七海の上の残穢が心做しか薄れる。
五条は七海の左手を握りしめ、掲げるように持ち上げて額を押し当てる。事情を聞こうにも、少女は恐慌状態の只中にあって、黒幕たる呪詛師はだんまりを貫いている。解呪の方法はわからなかった。しかし五条は諦めるつもりはない。
他人の夢の中に入るには、相応の手順が必要になる。けれど今の七海がいるのは少女の術式による夢の中だから、もっと手っ取り早く入ることができるかもしれない。入ることさえできれば打開策はあるはずだ。
何としてでも七海を引き戻す、それだけを念じて、目頭に力を入れて強く目を瞑った。黒一色の中でパチパチと弾けるカラフルな火花を眺めていると、急に重力が増したかのような錯覚に襲われた。
そのまま、暗闇に引きずり込まれるように、五条は眠りに落ちた。