五条が呪術規定を破ることなどないし、もし破ったとて、その後の恐慌を考えれば処罰することも難しいだろう。処罰できる人員がいるかは別として。
むしろ逆に、五条は、誰よりも勤勉に呪術師としての職務を全うしている。全うし過ぎていたからこその、現状だ。
術式の暴走だ、と五条はあっけらかんと言った。
無下限か、オートのための反転術式か、はたまたそれらを支える六眼か。いずれか、あるいはいずれもの制御が失われ、五条自身の手から離れてしまったという話だ。
五条の無下限は、今、対象の選別なく全て一律に弾いてしまっているらしい。
その無下限の膜は透明で薄いから、傍目には何も変わらないように見える。けれど、目の前の五条の、掛け布団の上に投げ出された手は数ミリ浮いている。布団に隠れた足とベッドの間にも隙間があるのだろう。
辛うじて空気は遮断されていないというが、それも時間の問題なのだろう。食物の摂取は既に諦めているというから、五条の頬は窶れてきている。
五条の呪術界への、ひいては世界への献身の結果がこれだとしたら、七海は遣る瀬なく思ってしまう。
「オマエ、もう来なくていいよ」
五条が七海に話しかけるが、五条の視線は七海に向かない。
呪力を伴わない視力は失ったが、六眼は以前にも増して視えるようになったらしい。だから五条は七海のいる方向に顔を向けることも出来るはずだが、頑なに窓の外を眺めている。
表情の窺えない五条の声は硬く、触れたら凍りつきそうな冷たさがあった。
「忙しいだろ? 僕なんか構ってないで任務に行けよ」
「今日は元からオフです」
「なら尚更。こんなとこいないで、自分のために時間を使えって」
諭すように五条は言うが、七海が自らの意志で来ているとは思っていないようだ。そういうところが、五条の歪な自己肯定感を表しているように思えた。七海の想像でしかないが。
七海では、五条の隣に並び立つことは到底できない。ならば少しでも負担を減らしたり、そうでなくても愚痴を聞くくらいならと思ったりもしたのだ。が。
五条が、七海に、それを求めていない。
七海は五条の支えになりたかった。微力でも五条の助けになりたいという思いは、五条の任務量を知れば誰でも抱くものだと、七海は思っていた。
上司あるいは同僚や部下が、呆れるほどの量の仕事を捌いているのだ。その負担を減らそうと動くのは、人として常識的な行いだと、七海は考えている。けれど違うのかもしれない。
五条などは、七海のことを情に厚い人間だと思っているようだが、七海は割と淡白なタイプだ。仮に厚い情とやらがあるとするならば、それが披露される範囲はとても狭い。
その七海の尺度でいえば、五条に向ける熱量は過剰なほうだ。単なる仕事仲間に対する量ではない。
「五条さん、私はアナタの支えになりたいんです」
ダメ元だ。既に七海は五条に拒絶されている。それでも、七海は、言わずにはいられなかった。
せめて、五条の力になりたいと思っている人間がいると、五条自身に知ってほしかった。でなければ、五条は独りでどこまでも高みへ登っていってしまいそうに思えた。それが出来るだけの才能を持ってしまっているので。
「……いらないよ、僕は一人で大丈夫」
それを言われては、七海はもう何も言えない。
たった一度、全てを諦めて自暴自棄に思ってしまったことを、七海はなかったことに出来ない。してはいけないと思っている。
「それに、僕はまだ死んじゃいけないから」
五条が振り返る。青い瞳からは呪力が溢れ出るように感じるほどだが、その焦点は七海に合っていない。
こんな状態になってもまだ、五条は死ねないというのか。死ぬことを許されていないと、五条自身が思っているのか。まるで呪いのようだ。
「これは、夢だから」
暗転。