アフター・ザ・ナイトメア 事の始め

「私に、潜入任務ですか?」
七海の金髪碧眼で彫りの深い顔立ちは、黒髪黒目の日本人の中では大層目立つ。そのせいか、七海に潜入を伴う任務が回ってくることは少なかった。
七海自身も向いているとは思っていない。任務の適正度合いとしては、五条とどっこいどっこいだろう。
だから初めてともいえる潜入任務に、七海は僅かに疑心を抱いてしまった。おそらく表情にも出た。相手は気心の知れた伊知地だったので。
「えぇ、あの……はい」
対する伊知地は、七海の表情に気圧されたようにビクついていた。虐めているようで申し訳なくなる。
「あの、でも、今回の任務は周りに馴染む必要はないらしく……」
「はぁ……つまり?」
つまり、怪しげな祈祷師を掲げる団体に、金蔓のフリをして近付けということらしい。概要を聞いて、七海は一応納得した。納得しようがしていまいが、任務の拒否権は基本的にないのだが。
その祈祷師というのは、夢占をする、善い夢を見せる……など、とりあえず夢に関することを得意としているらしい。それだけなら、言ってしまえばよくあるカルト系詐欺なので、緊急度も優先度も高くはなかった。一級呪術師の七海に振られるほどの案件ではなかっただろう。
しかし状況が変わった。
ここ最近の不審死のごく一部と、関連があると認められ、しかも、被害者の中には財界大物の親戚もいた。そのせいで緊急度も優先度も急上昇したようだ。世知辛い。
かくして、七海としては自分向きではないと思う潜入任務を、謹んで受けるハメになった。

◆ ◆ ◆

自他ともに日本人には馴染みにくいと認める風貌の七海は、客として潜入することになっている。団体内部からの調査は、潜入行動にも慣れている他の術師が既にあたっているようだ。
団体を訪れる客は、大きく分けて二種類になるらしい。
一つは善い夢を見たいというものだ。祈祷師にどんな夢が見たいか話し、祈祷をしてもらい、善い夢に浸かるらしい。しかしその夢は日が経つにつれ見ていられる時間が減り、善い夢の維持のために通い詰めるそうだ。
もう一つは悪夢に悩まされているというものだ。こちらは悪夢を祈祷師に祓ってもらい、代わりに善い夢を見られるようにしてもらうらしい。けれどその善い夢を見られる期間にも限りがあって、悪夢を見ずに済むように足繁く通うそうだ。
いずれにせよ、祈祷師の祈祷や祓いには法外な金を要求され、通ううちに金銭的に破滅するか、通えなくなって廃人になるらしい。どちらにしても、待っているのは地獄だ。
「善い夢を見せる」ことと「悪夢を祓う」ことができる術式ということか。七海は聞いたこともない術式だが、五条あたりなら知っているかもしれない。
「次のかた」
畳敷きの狭い和室で姿勢良く正座している七海に、声が掛かる。真正面にある扉の向こうに佇むのはどこにでもいそうな中年女性だが、品良く誂えられた紅袴が目を引いた。神職の装いを意識しているのだろう。
その表情には歪で恍惚とした笑顔はなく、もしかしたら信者やらを束ねる側にいるのかもしれない。七海は軽く会釈をするに留めて、先導する女性の後ろを歩く。
内部は入り組んだ造りになっていて、どこかで香を焚いているのか、ほのかに甘い香りで満ちていた。以前一度だけ見かけた、和装に身を包んだ五条を思い出す。
どれだけの角を曲がったかわからなくなるくらい歩くと、大仰な装飾を施された扉の前に辿り着いた。扉の両脇には門番らしき人影があって、七海の前を歩く女性に対して深く頭を下げる。そうして、見た目通りに重たそうな音を立てて、扉が開かれた。
中には祭壇のようなものがあって、手前に少女が一人、座っていた。女性は七海を引き連れて扉を潜り、部屋の中に七海を置いて、振り返らずに出ていった。その足音に、少女が振り向く。
「ななみけんと様ですね」
「はい」
「おすわりください」と袖口を抑えながら七海の足元を示す仕草には慣れが見えて、見た目の年齢に不釣り合いな落ち着きがあった。少女は、おそらく十歳にも満たないのではないだろうか。
七海がその場に正座をすると、少女は立ち上がって七海に近寄り、七海の目の前で同じように正座した。
「ななみ様は、あしゆめを見る、と」
「はい」
「それは、いつごろから」
「半年ほど前から、ですね」
「それはおつらかったでしょう」
「あしゆめ」とは悪夢のことだろう。辿々しい滑舌で読み上げられる仰々しい言葉からは、少女の意思というものは感じられなかった。
「……いえ」
「して、どのようなゆめを見られるのですか」
「……大切な人が、亡くなる夢を」
客として振る舞うにあたり、ボロが出ないように、七海は悪夢の内容を考えた。大抵の人間が納得して共感しそうな悪夢を考えて、結果、「大切な人が亡くなる」というものに決めた。
「たとえば、どのようなかたが」
「……最初は両親でした。遠方に住んでいる両親の訃報が、突然届くという夢です」
そこから、七海は如何にも疲弊している、思い出したくもない、というように悪夢の内容を騙る。半年分となると結構な量となり、全て話し終えた頃には喉の乾きを覚えたくらいだ。
七海が一息つくと、少女は神妙に頷いた。
「あいわかりました。それではこれより、あしゆめのはらえを行います」
「お願いいたします」
七海は床に額をつけるように、座礼をする。少女の動向は七海の隠し持つカメラに録画と録音がされているから、七海は少しだけ気が楽になった。
そうして始まった「はらえ」は、やはり七海にはよくわからないものだった。五条に聞いても、これは知らないと言われるだろう。
「はらえのぎ、つつがなく終了しました。お帰りのさいは、ごふの受け取りをおわすれなきよう」
七海に向き直って頭を下げる少女に、七海も頭を下げながら「ありがとうございます」とだけ伝えた。
扉の外には案内の女性がまた立っていて、押し付けるように、振り込みの口座だとかの書かれた書類を渡された。少女の言う「ごふ」は、それらに比べると随分とぞんざいに渡された。
「何かありましたら、またお越しください」
女性の笑顔は、七海が再び訪れることを確信しているかのようだった。

任務での必要経費なので、「はらえのぎ」に掛かる費用は全て経費で落ちる。当然だ。だから七海は金額を知る必要はないのだが、怖いもの見たさでチラリと覗いてしまった。恐ろしい桁数だった。
これならまだ、五条が呪力を込めた札を売りつけられたほうが、ご利益がありそうでマシというものだ。
もらった「ごふ」は、五条に見てもらった。経緯を考えれば提出しなければならないだろうが、そんなことをするより五条に見せるほうが的確だ。ついでに手っ取り早い。
五条曰く、ただの紙切れらしい。薄っすらと残穢は見えるが、術式や呪力のようなものは見当たらない、それっぽく見せたただの紙だそうだ。
「つまり、これが元凶ではないと」
「そうだろうね。悪夢を見たって人たちは、そこの祈祷師にもらうまで、その札を持っていないわけだし」
「まぁ、そうですよね」
「ごふ」が原因だとすると、因果がおかしくなる。七海も、それが元凶だとは思っていなかった。
「話すってのが重要そうだな」
「何故でしょうか」
「ただのイメージだけどね。話を聞いたりしないで、エィヤーッ! ってして、もう大丈夫でーすって言ったほうがそれっぽいでしょ」
「……確かに」
必要な手順が、「部外者から見てよくわからない謎の儀式のみ」というほうが、不可思議さが際立ってそれらしく見えるだろう。そう考えると、頻りに詳細を聞き出そうとする少女の行動は、何か意味があるように思えた。
「……報告しておきます」
「おー。あんま根詰めすぎるなよ」
七海に背中を向けたまま右手を振って、五条は立ち去った。

◆ ◆ ◆

「また、あしゆめを見るようになった、と」
「はい……」
項垂れている風を装う七海に、少女は少し困惑したようだった。
七海が悪夢をまた見るようになったフリをして再訪したのは、前回から一週間後のことだった。高専の調べでは、被害者の再訪のタイミングは最短で二週間弱ということだから、それより短い期間にしてみた。だから少女は戸惑ったのだろう。
「あしゆめは、どんなゆめですか?」
「以前と同じく、大切な人の亡くなる夢です」
「くわしく教えてください」
七海が一通り喋ると、前回と同じく「はらえのぎ」が始まる。そういえば、この儀式の動画は五条に見せていなかった。次にあったときに見せて何かわかることがないか聞いておこうと、七海は脳内でメモをする。
口座に振り込む金額は、大変恐ろしいことに前回より上がっていた。カルトとしたら常套手段だろうが、経費として落ちるからこそ遂行できる任務だ。これが自腹だったらと思うとゾッとする。
資源の無駄でしかない「ごふ」を、それでも任務の進捗とともに提出するために丁寧に仕舞っていると、五条と行き合った。
「よっ七海、あの任務は順調?」
「えぇ、まぁ、ボチボチというところでしょうか」
順調かどうか、まだ二回目なので判断はできない。
「そういえば、少し見ていただきたいものがあるんですが……」
「えーっ! なになに、七海がそんなこと言うなんて珍しーね!」
「やっぱりありませんでした」
「オイオイ、そんなツレないこと言うなよ。この五条先輩に任せてみろって」
七海は大きな溜息を吐いた。力任せに肩を組んできた五条を振り払うことすら、億劫だった。
「これを見てください」
「画像粗いな。オマエの任務のやつ?」
「悪夢祓いの儀式らしいですよ」
「ふーん、見たことないなぁ」
動画は数分と経たずに終わった。五条の答えは軽い調子のものだったが、呪術に関する知識や記憶は確かだ。五条が知らないなら、有名な家の者ではなく、それどころか非術師出身の人間なのかもしれない。
「何かわかったら連絡するよ。じゃーね」
五条は慌ただしく去っていく。もしかしたら、任務に向かう途中だったのかもしれない。七海は遠ざかるその背中を見送ることしかできなかった。

◆ ◆ ◆

早朝に伊地知から連絡があった。対象の団体に警察の捜査が入ることになり、それに伴って七海の任務も終了になるらしい。あまりに急な展開に、七海は自分の耳を疑った。
多少脅すようにして伊地知から聞き出したところ、捜査が入る過程までには五条が絡んでいるらしい。普段の態度から忘れてしまいそうになるが、五条は御三家が一角、五条家の御当主様だ。そのくらいは出来るだろう。
理解はできたが、納得はしていない。折良く本日の七海はオフで、というより件の団体を訪ねるために空けていて、だから七海は目的地を変えずに家を出た。
全く通い慣れなかった道を進むと、普段は人気のないそこは、見慣れた高専所有車と見覚えのない車で渋滞していた。見覚えのない車は警察車両だろうか。
規制線を顔パスで通り、七海は建物内部を足早に進んでいく。進んだ先で、目当ての人物を見つけた。
「……五条さん」
「任務終了って連絡したはずだけど?」
五条はチラリとも振り向かない。目元を包帯で隠していることも相俟って、七海には、五条がどんな表情をしているのかは窺い知れない。
けれど、七海が声を掛けたことで、五条の纏う空気は一気に冷え切った。気分を害していることだけは察することができる。
「納得できなかったので、アナタから直接話を聞くために来ました」
「ご立派な正義感だねぇ。休日出勤とか大嫌いなのに」
煽っている。煽って七海を怒らせて、有耶無耶にしてしまおうとしている。高専のときの七海なら、五条の思惑に乗ってしまっていたかもしれない。
「いえ、私が納得していないだけです。これでは折角の休日が楽しめそうにない」
五条はガシガシと音がしそうなくらいに乱暴に頭を掻く。これは五条が面倒だと感じているときの癖だから、あともう一押しだ。
「あなたもお母さんをいじめるの?」
何とか絞り出したというような、震えてかき消えてしまいそうな声が、七海の背後から聞こえた。反射的に振り向くと、そこには祈祷師と祀り上げられた少女が立ち尽くしている。
胸の前で固く握りこんだ手はブルブルと震え、顔色は紙のように白くて今にも倒れそうに見えた。けれど目はギラギラと輝き、何も見逃さないようにと、大きく丸く見開かれている。
「お母さん、もう一緒にいられないって、私はお母さんに会えなくなるって、あなたのせいなの? あなたはわるい人なの? お母さんが遠くに行っちゃうのは、あなたのせい?」
「七海」と五条の焦ったような声が聞こえて、一瞬、七海の気が逸れた。
「わるい人は、あしゆめを見せて、バツをあたえなきゃ」
小さく呟かれた少女の言葉には、七海に対する呪いが詰まっていた。