昨日は閉め切られたドアを前に数秒考えて、五条は諦めて任務に向かった。おやすみ三秒で大音量アラームが鳴っても寝続ける夏油のことだから、もう起きないだろうという判断だった。
夏油を訪ねたのは、彼曰くの「ノロケ」が目的ではない。五条は、七海の様子がおかしかったことを相談したかったのだ。やたらと距離が近いし、妙に熱のある目で見てくるし、口説かれていると勘違いしてしまいそうだった。天地がひっくり返っても有り得ないことなのだが。
そう考えれば、五条の自惚れを夏油に明かさずに済んで、昨日は命拾いをしたのかもしれない。五条は前向きに捉えることにした。
「……五条さん」
前向きに上向きに修正できていた五条の気持ちはぽっきりと折れた。いや折れたというのは過言だが、とにかくくさくさとした気持ちになった。しかし二度続くのまでは定石だから仕方ないと、五条は気持ちを整え直した。上向きにはならなかったけれど。
「おはよ、連日任務で人気者だね」
「おはようございます。今日は任務じゃないですよ」
「用もないのに高専いるの? 仕事好きすぎでしょ」
茶化し半分、本音半分といったところだ。五条のような事情もないのに高専に詰める呪術師なんて、ワーカホリックかボランティア精神旺盛か、だろう。「労働はクソ」と言って憚らないくせに、七海はどうにも真面目で不器用なところがある。
しかし五条の言葉に、七海は静かに首を振る。
「アナタを探してたんですよ」
五条を見つめる七海の目に、先程まではなかった、しかし昨日はあった熱を感じた気がした。五条は思わず息を呑む。
「……え〜怒られる心当たりないんだけど」
「任務行ったし〜報告書出したし〜」と、五条は白々しくはしゃいだ声を上げる。場を和ますための返事だが、七海に探される覚えがないのも事実だ。
「何で怒られる前提なんですか」
「オマエがいっつも怒ってるからだろ。そろそろシワ取れなくなるんじゃないの」
キュッと幅の狭まった眉間を、五条は揉みほぐす。
「日頃の行いが悪いからでしょう」
「……そうでなく」と七海は首を緩く振って目を伏せる。七海が挑発に乗ってうやむやになれば良いのにという五条の願いは、どうやら叶わなかったらしい。
それでも惰性で眉間に添えていた五条の指を、その手ごと包み込むようにして七海が掴む。咄嗟に引き抜こうと動いた五条よりも七海のほうが僅かに早い。拘束された手はびくともしなかった。
「アナタに聞きたいことがあったんです」
「な、んだよ。そんな、改まって……」
穴が開きそうなほど見つめられて手を掴まれて、逃さないという七海の強い意志に五条はたじろぐ。おまけに顎まで捉えられて視線を反らすことさえ難しい。
「アナタ、私のことが好きなんですか」
「傑が喋ったの?!」
直球の質問に、五条は思わず叫んでいた。言ってから「しまった」という後悔が襲い、これ以上の失言を防ぐためにピタリと口を噤む。そんな五条の様子に、七海は小さく息を吐くように笑った。
「やっぱり、夏油さんには言ったんですね」
「……カマかけたのかよ」
自分の普段の行いは棚に上げて、五条は思いつく限りの悪態を脳内で並べたてた。
「一昨日の深夜、泥酔した夏油さんから電話がありまして……担がれたかと思っていたんですが、まあ」
どこを見ても七海の顔が入り込むという近さと角度で、五条はせめて目を合わせないように視線を反らす。いっそギロチンが落ちるのを待つ気分だ。
「その顔なら、本当みたいですね」
「……オマエ、だから昨日、あんな変だったのかよ」
「変、でしたか?」
「やたらベタベタしてきただろ……」
今のほうが肌の接触面積は広いが、昨日は雰囲気が違っていた。思い出すだけで五条の顔には熱が溜まる。特に七海に掴まれている顎が火傷しそうなほどで、五条は手を外そうと躍起になる。
「あのくらい、アナタはいつもしてくるでしょう」
「僕とオマエじゃ全然違うだろぉ」
そろそろと窺った七海は、片眉を上げていかにも「心外です」というような表情をしている。それを言いたいのは自分のほうだと、五条は反論した。心の中だけだが。
「……とにかく」
手を外そうと藻搔く五条の手もまた握り込んで、七海が顔を覗き込んでくる。少し動けばキスができそうな距離感に、肩は跳ねなかったが心臓が飛び出そうになった。
「私とお付き合いしてくれませんか」
「ど」
「恋人になってほしいという意味です」
呪霊相手なら遅れは取らないのに、五条は七海相手なら遅れを取りっ放しだ。それでも逃げ道がないか探すと、七海が追撃をかます。
「ああ、返事ははいかイエスで結構ですよ」
眉間のシワも解けて口角を上げた七海の笑顔は珍しい。珍しい以外の感情が湧き上がりそうになって、五条は咄嗟に大きく吠えた。
「返事一つじゃねーか!」