晃生は結局、来た道を引き返した。しかし助手に諭されたからではない。晃生の知る噂には「一人で行かないと電話は繋がらない」という但し書きがあったからだ。
所長と助手は二人で向かっていたが、あの但し書きを知らないのだろうか。いや、二人にとっては、繋がることは重要ではないのかもしれない。何を調査するのかは知らないが、繋がらなくてもわかることや、繋がらないからこそわかることもあるのだろう。晃生は繋がらなくては意味がないから、一人で行くしかないのだが。中々寝つけない深夜、布団に包まって晃生は思考を巡らせていた。
二ヶ月前、兄が亡くなった。交通事故だった。
事故の現場には晃生もいた、らしい。直前の記憶やその日の予定を照らし合わせて考えれば、確実にその場にいたはずだ。なのに記憶がない。事故に遭う数分前の兄との会話は思い出せても、事故の瞬間とその後の記憶が、丸ごと無いのだ。ショックで記憶に蓋をしているのだろうとは、医者の言葉だ。
兄は優秀な人だった。とても出来た人だった。勉強もスポーツも出来て、顔だって格好良くて、けれどそれで人を見下したりしない、とても優しい人だったのだ。晃生は、そんな兄が自慢で、兄が褒められると自分のことのように嬉しくて、もちろん大好きだった。
きっと、兄は晃生を庇ったのだろう。決定的な記憶も証拠も何もないが、一度思い浮かんでから、その疑念は晃生の頭から離れなくなった。だって兄は優しかったから、弟の晃生をとても可愛がってくれたから。
自分の代わりに優秀な兄が何故――と、思ってはいけないと理解している。しかし、それで納得して思わないでいられるかは、また別の話だ。晃生は今、生き延びていることに申し訳無さを感じてしまっている。
せめて一度、兄の声を聞きたかった。欲を言うなら本音を聞かせてほしい。
悶々とした思いは一晩経っても解消されず、翌日、晃生は人生初めての仮病を使った。