死者との電話 1

コツコツと、靴音とは違う特徴的な音が響く。音の正体に当たりをつけて振り返れば、そこには予想通りに、杖をつきながら歩く男性がいた。左目から耳にかけて眼帯をして、その視野を補うように左手に持つ杖をついている。晃生あきおは向かって左、彼から見て右側に移動した。
声を掛けようとして、晃生は立ち止まる。何と声を掛けたら良いのか、そもそも声を掛けても良いのか、判断しかねたのだ。見た限り、彼は困っている様子もないし。
「すみません」
「はいっ」
ぐるぐると悩んでいたら、当の男性のほうから声を掛けられる。裏返りかけた声を宥めて返事をし、それから一応、背後を見回して自分しかいないことを確認した。
「少し道をお訊きしたいのですが、お時間は大丈夫でしょうか」
「あ、はい、大丈夫です」
とはいえ、二人が立つのは線路と緑地に挟まれた一本道で、道に迷うとはあまり思えない。もしかしたら気を遣われたのかもしれないと感じながら、晃生はスマホを取り出す男性に近寄った。
画面に表示されたのは廃墟が一つきり。正面の引き戸の上には看板が掲げられていて、その脇には電話ボックスが設置されていた。その看板と店構えが、そこは怪しげな洋館だとか病院だとかではなく、よくある大衆食堂だったことを窺わせる。
ホラーに耐性のない晃生は、しかし恐怖とは違う理由で心臓を冷やした。その廃墟の電話ボックスこそ、晃生の目的地だったのだ。偶然だろうか、いや偶然に決まっている。
「ここに行きたいのですが、道は合っているでしょうか」
画面は廃墟写真からマップに切り替わった。現在地のピンは二人のいる場所に立っていて、その矢印の先には、ちょうどあの廃墟と電話ボックスがある。
「……はい、合ってると思います」
「そうですか、ありがとうございます」
スマホを仕舞って、男性は晃生に向き直って軽くお辞儀をする。丁寧な人だ。暢気に感心していたら、顔を上げた男性の視線とぶつかった。その目は何故だか厳しい色をしている。
「ところで、君はあの公衆電話の使い道を知っていますか」
「……それは」
「しょちょーーー!!」
しらばっくれるか、どうするか。その一瞬の隙をつくように、辺り一帯に響き渡るような大声が聞こえた。肩を跳ねさせて、晃生はその発信源を振り返る。そこには腕をブンブンと振り回しながら駆け寄ってくるサングラス姿の男性がいた。不審者だろうか。
「ちょっと、一人で勝手に行くなってば!」
プンプンとでも言い出しそうな態度で詰め寄った相手は、眼帯をした男性だ。二人は一体どういう関係なのか。目を白黒させる晃生に対して、今気付いたと言わんばかりの顔をしたサングラスの男性が、勢い良く頭を下げた。
「所長の相手してくれてありがとう。コイツ、せっかちですぐ先に行こうとするからさ」
「はぁ……いえ、はい……」
「あ、僕、こういう者なんだけど」
ボディバッグからカード入れを取り出して、その中から一枚の名刺を晃生に差し出す。そこには「怪奇現象調査所助手」とだけ書いてあった。裏返してみても、他には何の情報もない。
「で、こっちが所長」
助手はそう言って、杖を持っていない所長の右腕を、左手で軽く引く。その自然な動作は、二人の付き合いの長さを感じさせた。何故か見てはいけないものを見た気になってしまったが。
「僕たち、この先の公衆電話に用があるんだけど、君もかな?」
「あ、いえ、違います……」
「そっかあ」という助手の返事は軽い。しかしその目は笑っていないように、自分の一挙一動が監視されているように思えて、晃生は気取られないように生唾を飲み込む。お返しのように助手の様子を注意深く窺いながら、恐る恐る口を開いた。
「あの……その電話って、何かあるんですか?」
「何かね、亡くなった人と繋がるって噂があるんだ」
「そうなんですか……」
「そう。でもまあ、電話の相手に呪い殺されたり、そもそもお化けの擬態だったり、ろくでもない話ばっかりだよ」
「世の中そんなに甘くないみたい」と笑う助手は、丸きり他人事だ。怪奇現象調査所の助手を自称する彼は、恐らくその役職通り、調査のために向かうのだろう。そんな彼からしてみれば確かに他人事なのかもしれない。
しかしそれを言うならば、二ヶ月前の晃生にとっても、そんな噂も電話も他人事でしかなかった。
「あ、あの……」
「うん、どうかした?」
「あ、いえ、その……お気を付けて」
晃生のしどろもどろな言葉を気にした様子もなく、助手は笑って親指を立てる。そうして所長の腕を取ると、二人は晃生を振り返ることなく進んでいった。