切っ掛けはよくあるもので、初参加の飲み会で具合が悪くなった彼女に、七海が声を掛けてくれたから。最初から最後まで紳士的な態度に、瑶子はあっさりと恋に落ちた。しかしそこから進展はなく、こっそりと、その姿を目で追うくらいだ。
しかし事情が変わった。七海に彼女ができたという噂を耳にしてしまったのだ。
曰く、講義が終わればそそくさと帰るだとか、それが人を持たせているような素振りだったとか。いくら合コンに誘っても来てくれないだとか、そもそも飲み会の参加率も随分と下がっているだとか。確かに、そうと言われればそんな気もしないでもない、というような証言が出揃っていた。
「でもさ、ペット飼ったとかそういう可能性だってさぁ!」
「まぁねえ」
相談というよりも愚痴のような言葉だ。瑶子の片想いを知る由希乃は、そんな態度に呆れながらも口を開いた。
「うだうだ悩んでるより直接聞いたほうが早いでしょ。今度の飲み会、七海くんも参加するみたいだし」
タイミングがなくて、なんて言い訳も通用しないらしい。臆病風に吹かれる瑶子の足元に、チャンスが降って湧いて落ちてきてしまった。
奇しくも同じ居酒屋、瑶子の斜め右前のさらに隣の席に、七海は座っている。この距離で喋るのは難しそうだなと、瑶子は早々に諦めモードに入っていた。しかし気持ちは諦めに傾きつつも、チラチラと七海を窺うのは止められない。
そうして隣や向かいの誰かと世間話に花を咲かせていると、七海が席を立った。由希乃の呆れながらも背中を押す声が脳内に響く。一拍おいて、瑶子はできるだけ自然な態度を装って後を追った。
七海の姿は店の外にあった。どうやら通話中のようだが、もしかしたら相手は噂の恋人かもしれない。ガラス戸越し、話し掛けるタイミングを窺いながらも、瑶子は悶々としてしまう。
七海は二三度軽く頷いて、スマホを耳から離す。通話は終わったらしい。しかしすぐには席に戻ろうとせず、スマホの画面を眺めたままだ。その表情が見えなくて良かったと瑶子は思ってしまった。もし嬉しそうな笑顔をしていたら、話し掛けることも出来ずにすごすごと席に戻っていただろう。足に力を入れてガラス戸に手を掛ける。
「あ、あの……久しぶり」
「……お久しぶりです」
「あの、飲み会一緒で……前、サークルの飲み会でも一緒だったんだけど……」
覚えられていないと理解した瑶子は、どうにか記憶を掘り起こせないかと言葉を重ねる。そのうちに思い出したらしい七海は、それをそのまま素直に口に出した。オブラートには包んでいたが。
「電話を掛けに来たんですか?」
「あー、私はその、ちょっと違くて……」
尻すぼみな瑶子の言葉を最後に、七海との間に沈黙が落ちる。気心知れた友達とのそれとは違う、居心地が悪くなるタイプの沈黙だ。
「……そ、ういえば……この頃、飲み会来なくなったよね」
何とか絞り出した話題は本題そのもので、自身の応用力の無さを瑶子は詰った。しかも詮索するような言い方だ。七海はゆるゆると顔を伏せて、左手に持つスマホを見遣る。彼が、表面上は不愉快そうにしていないことだけが救いかもしれない。と、ホッとしたのも束の間だ。
「……家で、待っている人がいるので」
人を持たせているような素振りとは、言い得て妙だ。それ以上に相応しい表現が見つからない。
ガンと殴られたような衝撃を受けて、瑶子はその後、どう言い繕って会話を終えたのかも覚えていない。ただ、飲み会を抜けて由希乃に自棄酒に付き合ってもらったことだけは、翌日の二日酔いが証明していた。