自分でも呆れ返ることだが、五条は生まれ変わってなお、七海に恋をしている。会ったこともない、存在するかもわからない相手なのに、操を立ててしまっている。
五条と七海の人生は、世間一般からすれば随分と短いものだった。二人とも二十代で殉職だ。呪術師として生きていればと覚悟をしていても、やりたいことは星の数以上にあった。
そうして次こそはと、期待と未練を等分に持って生まれ変わったのに、五条は七海と再会できなかった。他の誰かとは再会できたのに、七海とは、ずっと。
探し回るなら身軽なフリーランスか、まとまった休みの取れる業種が良い。あるいは遠方への出張ないし転勤の多そうな企業か。しかし五条は相変わらずの教職に就いた。天職とは思っていなくとも多少の適性はあったし、教師という職業が好きだったから。
それだけで五条は教員免許をとり、周囲と軋轢を生まない態度というものを学習した。涙ぐましい努力だ。幸運だったのは、腐ったミカンのような人間が勤務先にいなかったことだろうか。環境に恵まれたのだろう。
しかし適度に周囲に馴染む態度というものは、厄介事も引き寄せた。モテたのだ。教師になるまでの傍若無人あるいは軽佻浮薄と煙たがられる態度、それと前世では特異な立場もあってか、今まで恋愛対象として見られることはなかった。なのに今、同僚先輩後輩保護者を敵に回さないように演じただけで、モテてモテて困るほどになった。五条は少し、自分の容姿を過小評価していたのかもしれない。
元から色恋沙汰に興味が薄く、今は再会してもいない七海しか目に入らない五条だ。早々に面倒臭くなったし、教師として演じた態度を後悔した。生産性のない後悔なんてすぐに捨てたが。
ならば前世のような振る舞いに戻すか。一瞬考えたが、あれはあくまで最強術師として御三家当主としての演出が含まれていた。地位も権力もない身では不利益しか生まない。無難に虫避けでもするか。地位も権力も恋人もいない気楽さを実感しながら、五条は家から一番近いデパートに向かった。
◆ ◆ ◆
いわゆるピロートークというものだ。
常夜灯の弱い光の中、肘をついてうつ伏せになる五条の右隣、七海は仰向けに寝転んでいた。七海一人が住むこの家には枕が一つしかなくて、それは家主に譲ると決めている。そうして自分は七海の腕枕に収まろうというのが、五条の算段だ。
お付き合いしましょうそうしましょうと恋人になった二人は、その日のうちに七海の家にシケこんだ。とはいえ今の五条の身体は慣れていないから、最後まではしていない。一つベッドの上で触れ合っただけだ。一般常識と照らし合わせればとんでもないスピード感だが、二人には前世の積み重ねがある。故に問題も無かった。
しかし、二人の仲が深まるまでの早さに問題は無かったが、七海としては懸念点があったようだ。それを、ベッドに二人して沈んだあと、七海は眉間のシワを深くして言いにくそうに切り出した。
「その指輪、どうしたんですか」
「これ? ただの虫避けだよ」
七海はホッとしたように目元を緩める。それも束の間、すぐに、キュッと唇を噛んで引き結ぶ。酸っぱいものだか苦いものだか、とにかく予想外の味に遭遇したような顔になった。
「気になる? 外そうか」
親指と人差し指で指輪を摘んで、けれど内側のデザインを思い出した五条は固まった。今度は自分が黙り込む番となる。訝しんだ七海が言葉を発する前に、弁明するために、五条はよく回る舌を動かした。
「あーあの、これさ、ホントにただの虫避けだよ?」
「はい」
「ただその……デザインが気に入ってるというか、ね」
「……デザインですか?」
「うん……まあ、その……」
五条の下手な言い訳に、七海は疑問符の込められた声を返した。確かに、五条の指輪は、見た目にはシンプルなデザインだ。結婚指輪としてなら大切なものになるだろうが、そうでなければ、どこにでも売ってそうな指輪でしかない。けれど、五条が殊更に大切にしていた理由は、そこではない。
見逃してもらえないだろうと観念して、五条は指輪に添えた指に力を込める。ぐりぐりと捻りながら動かせば、明らかに、金属と違う感触が肌を掠めた。その色を思い浮かべながら、五条はそっと指輪を外した。
「……ホントは、石とかついてないのにするつもりだったんだよ」
指輪を眼前に掲げる。その内側、かすかな光を反射して、深い緑の宝石が煌めく。それは隣に寝転ぶ恋人の目の色と同じだった。
「でもこの石、オマエの目の色に似てるなって思っちゃって……」
七海は無言だ。引かれたのだろうか。自分が七海の立場ならと想像して、いや喜ぶだけだなと、脳内の妄想は片付けた。しかし普通は重いと呆れるか引かれるか、するものだろう。
黙り込む七海の返事が気になって、五条は七海に覆い被さる。より前に肩を押されて、気付けば七海の顔と、その向こうの天井を眺めていた。
「……すみません、もう少しだけ付き合ってください」
見上げるオリーブグリーンは、影になっているのに内側から輝いているようだ。本物には敵わないなと改めて実感しながら、五条は七海の首に腕を回して目を閉じた。