SS 沈丁花/桜

沈丁花の香りがする。沈香とも近い香りのするそれは、五条にとっては馴染みのある香りだ。
五条がまだ幼い時分、軟禁されるように五条の本邸で暮らしていた頃は、花の盛りになるとどこからともなく香りが届いていた。おそらく庭に植えられていたのだろう。
沈丁花は春の花、冬の終わり頃から咲き始めるその花は、香りで春の訪れを告げた。しかし春といえば呪術師にとっては繁忙期であり、沈丁花の香りが漂い始めると、五条としては些か憂鬱な気分になってしまっていた。けれど。
「七海、沈丁花の香りがするよ」
「……あぁ、もう春ですね」
今は、ともに春の訪れを言祝いでくれる相手がいるので、それなりに。

◆ ◆ ◆

五条に連れられて来たのは高専の一角、満開の桜の下だった。五条の家の名義で管理しているその樹は、手入れもしていないのに毎年咲き誇るらしい。
ひらひらと舞う花びらを一枚、五条が掴まえる。
「花びらをキャッチできると恋が叶うんだって。七海もやってみる?」
ニヤリと笑う顔は、悪戯っ子というには悪どすぎた。七海は溜息を吐いて、五条の髪に手を伸ばす。
「私の恋は叶っているので、今更いりませんね」
五条の髪に同化しそうな薄紅の花びらを取り上げて意味ありげに一瞥すれば、五条は真っ赤になって俯いた。
全く、煽るなら反撃される可能性も考えてほしいものだ。