賑やかな五条が大荷物を抱えてきて、善いことがあったためしがない。思わず出そうになった溜息を、七海は寸でのところで呑み込んだ。もしかしたら、万に一つの可能性だが、七海の期待する善いことが待っていることだってあるかもしれない。億に一つかもしれないが。
「ありがとうございます。で、それは?」
「浴衣!」
「お誕生日プレゼント!」と追撃をしてくる五条は、胸を張ってトートバッグのような帆布製の包みを掲げてみせた。グイグイと胸元に押し付けられる持ち手を、渋々と顔に書いた態度で七海は受け取る。四方から折り畳まれた作りで中身が窺えないが、五条の言葉を反芻すれば、その四角い形状は確かに着物を入れるたとう紙に似ていた。
浴衣と聞いて、七海は少しだけ安堵した。呪術師御三家の一角たる五条家、しかもその当主の纏う着物は文字通りの桁違いの値段になるが、浴衣ならそれほどでもないだろう。五条家御用達の呉服屋の相場を知らない七海は、そう自分に言い聞かせた。
「ちゃーんと予算内だからね!」
「それならいいですが……」
上機嫌な五条は、荷物を押し付けられたまま動かない七海を追い越して、リビングに向かった。はてここは誰の家なのか、と疑問を覚えるほどの我が物顔だが、そんな五条の態度はいつものことだ。七海の自宅に通い慣れてくれたと、前向きに捉えておくことにした。
遅れてリビングに戻ると、既に五条の持っていた包みが床の上で開封されていた。ダイニングテーブルとチェアは目一杯端に寄せられていたが、それでも足の踏み場に迷う程度にはリビングを占領している。廊下とを繋ぐドアで立ち止まる七海に、五条が急かすように手招きをしてきた。
「ほら七海のも広げて」
「はぁ……」
「早く早く」とはしゃぐ五条の開いた包みには、浴衣が一枚と小物数点が入っていた。着物に造詣の深くない七海からすると、既に必要なものは全て揃っているように見える。ならば七海の包みには何が入っているのだろうか。
五条の隣に何とか場所を作って、折り畳まれた布を広げた。その中央には、五条の包みとは色柄の違う浴衣と小物が鎮座している。もしや二枚買ったのだろうか。
「これが僕ので、そっちが七海の」
五条はそれぞれの浴衣を指差しながら、その上に置かれた帯を手に取った。
「この帯、七海のは青が入ってるんだよ」
「僕のには緑」と五条が掲げる帯はざっくりとした目の生地で、白地に黒のストライプというシンプルな柄だ。そのストライプの中に一筋、他と同化しそうなほど暗い色合いの緑が走っている。「七海の」と言われた帯も同じ生地で、こちらは濃灰の上に薄灰色のストライプと、その中に一本の水色が混じっている。まるで水の流れのようだ。
「目の色ですか」
「そ。これ着て一緒にお出掛けしようぜ」
恋人に「お出掛け」と誘われれば、一般的には、恋人とのデートを想像する。期待もする。けれどそういう想像や期待の何もかもを跳ね除けていくのが、五条悟という男だ。
「……それは、伏黒君たちの引率ですか」
「そーそー。今度さ、恵たちの家の近くで夏祭りあるらしくて」
「あんま行ったことないらしいし」と言い募る五条は、ひょっとしたら慈愛なんてものを覗かせているようにも見えて、七海は思わず見惚れてしまった。結局は惚れたほうが負けなので、七海の期待する嬉し恥ずかし二人きりデートは、またの機会となるのだろう。