任務上がり、直帰の予定でいた七海は、補助監督に駅まで送ってもらってから解散した。この時点では晴れ間に所々雲が浮かんでいるという空模様で、雨が降る気配はなかった。
電車で揺られていると、段々と雲の面積が増えてその色が鈍色に変わり、雨の気配が濃くなった。黒く重くなる空の色とともに、七海も嫌な予感を抱き始めていた。そうして最寄り駅に着く頃には大粒の雨となっていた、という顛末だ。
幸いにも、七海はまだ改札を出ていない。駅構内のコンビニで傘を買えば、濡れずに家まで帰ることが出来る。出来るのだが、何だか負けたような気がして癪だ。しかし背に腹は代えられない。軽く溜息を吐いてから、七海は来た道を戻ることにした。
「なーなみー!」
非常識な大声だった。出来れば他人のフリを決め込みたかったが、そう一筋縄ではいかない相手だということは、七海が一番理解していた。今さっき吐いた量の何倍もの溜息を吐き直して、七海は抵抗の意志を表すようにゆっくりと振り返った。
「……五条さん」
七海と目が合うと五条は大きく手を振り、その笑顔は三割増しの輝きを放った、気がする。素直に眩しかった。呆れだけでない感情から眉間にシワを寄せつつ、七海は足早に五条に近寄る。
「お迎え来ちゃった」
自販機超えの大男がかわい子ぶっても可愛くはない。というのは一般論で、恋人の贔屓目の自覚ある七海からすれば、その限りではない。可愛い恋人が自分を慮って迎えに来てくれたのだから浮かれてしまうのも仕方がない、と七海は誰にともなく言い訳をした。
「傘買うの悔しいって思ってたろ」
「まぁ……そうですね」
「変なとこ負けず嫌いだもんな」と笑う五条に、意地を張っても意味がない。素直に肯定して、七海は傘を持つ五条の左手に視線を移す。
「それにしては傘が少ないですが」
「えー相合傘しないの?」
五条が掲げる左手には、七海の傘だけが収まっている。七海が自身に合わせて買った傘だが、二人で入るには狭いだろう。
「……肩が濡れますよ」
「そこは僕が弾くから」
「才能の無駄遣いですね」
「むしろ有効活用でしょ。ほら行くぞ」
五条に傘を押し付けられて反射で受け取ると、そのまま強い力で腕を引かれる。肩が濡れないなら相合傘にも異存はない、などと内心で白々しく自分に言い聞かせて、七海は傘を開いた。
五条との間に傘を持つ腕を固定すると、五条はピッタリと体をくっつけてきた。服を隔てて伝わる体温にじわりと温かなものを感じながらも、七海は一応の苦言を呈する。七海の胸の内を見透かす五条に対しては、あまり意味のない足掻きだが。
「人前ですよ」
「いーじゃん、傘一本だけだしぃ」
上機嫌に鼻歌交じりに隣を歩く五条を見て、「まぁいいか」と納得してしまう程度には、七海は恋人には甘かった。