まるでラブレターのような 3

滅多に使わない脳内先延ばしフォルダに入れていた考え事を、五条はすっかりと忘れていた。忘れていたことを思い出したのすら今し方だから、念の入った忘却ぶりだ。
送迎あしの用意された任務帰りの、暇を持て余した車内。そんな経緯で、五条は手紙のことを思い出した。もちろん、レターセットなんて洒落たものは手に入れていない。
さてどうするかと思ったところで都合良く、運転席に収まるのは伊地知だった。気心知れた相手だ、これ程相談しやすい相手もいない。
「伊地知ぃ、便箋とか持ってる?」
「は、いえ、あの……今はありませんが……」
それはそうだ。任務の同行で必要になるものではない。
途中でコンビニにでも寄らせて、適当に見繕おうか。味も素っ気もないという意味では「冷蔵庫に貼られた伝言」と同レベルだが、便箋という形式になっているだけマシだろう。
「なにか、書状を送るんですか……?」
「そんなカタイことじゃなくて、お手紙おくろーと思って」
「おてがみ……」
「そ。七海に」
「七海さんに……」
伊地知は五条の言葉にオウム返しをするばかり、まるで未知の単語を聞いたかのような反応だ。そうして繰り返した言葉を反芻して呑み込んで、言葉を選ぶように唇を湿らした。
「あの、それでしたら新しく買ってはどうでしょうか」
「わざわざぁ?」
「雑貨屋でも文房具店でも、封筒とセットのものがありますし、一筆箋などもありますよ」
「そんな大袈裟じゃなくていんだけど」
束売りの事務用品じゃ味気ないというのは確かだが、だからといってそんな手の込んだものを用意する気はない。少なくとも五条には。しかし伊地知は、五条のボヤキを聞いていないのか無視しているのか、既に店に目星までつけたらしい。
「ここからなら駅ビルの文房具店が近いですが、少し先にはショッピングモールもあります。どちらにしましょうか」
伊地知はウキウキソワソワという擬音の似合いそうな表情で、後部座席の五条に目配せをする。この後輩は随分と肝が太くなったようだ。
「……近いほうでいーよ」
反論するのも面倒になった五条が、呆れ声で返事をする。「わかりました」と粛々と応える伊地知の声色は、しかし浮かれた調子のままだ。いつもと変わらない滑らかなハンドル捌きが、背もたれに沈んだ五条を連れて行く。
案内されたビルの中、五条は賑わう人の間を泳ぐように進む。人口密度の高さが息苦しさに直結しているようだ。上階にある文房具店は階下の食品売り場よりは閑散としていて、そのひと気の無さに少しホッとしてしまった。
狭い通路の先にある便箋コーナーは、商品の数も種類も充実していた。雑踏とは違うタイプの賑やかさで思わず目移りしてしまう。と言いたいところだが、アラサー男性が使うにしてはファンシーなものばかりで、五条は選びかねてしまった。難しい。
たとえば、送り先が教え子たちならピンクにキラキラとした便箋で、ついでにハートのシールをつけても良かったかもしれない。折しもバレンタインデーなるものも近い。しかし今回は七海が相手だ。
それでも以前の五条なら、あるいは七海と五条が顔を突き合わせられる状況だったなら。彼の反応を楽しむために可愛らしいレターセットを使えたかもしれない。そういうオフザケを躊躇ってしまう現実の重さを感じつつ、五条はフラフラと棚に視線を泳がせる。
そこで、ふと目が留まった。
四方八方カラフルな商品棚の上で目立つ、シンプルな便箋。紙そのものの白さの下半分に、金色のインクで貝やヒトデといった海のものが描かれている。封筒も同じく、白と金色、たったの二色で構成された、潔ささえ感じられるデザイン。ひと目でこれしかないと思った。
お気に入りが見つかると、沈み気味だった気分も上向いてくる。現金なものだ。まるで伊地知の浮かれっぷりがうつったようだ。
そんなフワフワとした気分のまま、五条はレジに進んだ。紙袋に収められたレターセットを片手に、「手紙を書くこと」を脳内優先メモに書き込んだ。