しかし五条の浮かれた気持ちは、何も思いつかないという虚無の時間を過ごすうちに萎んでいった。今では見る影もない。ローテーブルの冷たい天板に頬を押し付けて、投げ出されたボールペンをつつく。
だからこんな大袈裟でなくてもよかったのにと、五条は目の前に広げた便箋を睨む。八つ当たりなのは重々承知の上だ。けれど五条の癇癪をものともせず、白い紙に映える金色のインクは蛍光灯の光を跳ね返す。その光を追い掛けるように指でなぞると、紙とは僅かに違う感触が伝わってきた。
肺の中の空気を全て出すような溜息を一つ。その肺活量に生み出されたそよ風で、便箋の端がふわりと持ち上がる。それを視界の端に収めながら、拭いきれない恥ずかしさから目を逸らせないかと、五条はボールペンをつつき続けた。
最初の手紙はもっと簡単に書けた。材質もデザインも薄っぺらい紙に、反比例するように重たい気持ちをさらりと恥ずかしげもなく表せていた。なのに今更になってと言うべきか、ちゃんとした便箋に対しての珍しい気負いだとか、そもそもあんな率直な気持ちを表現するのは照れ臭いだとか。そんな感情が入り混じって、手を止めてしまっている。
指先で左右に転がしていたボールペンを見て、はたと、あるものの存在を思い出した。仕舞い込んでいたはずのそれを捜索しに、五条は立ち上がる。
その箱は抽斗の奥に仕舞われていた。長らく放置されていたのだろう、表面には薄っすらと埃も積もっている。もらったときから使うも捨てるも出来ずにいたことがよくわかる有り様だ。ピッチリと隙間なく合わさった蓋を持ち上げると、中から艷やかな黒のボールペンが顔を出す。夜蛾からの卒業祝いの品だ。実物を見るのは初めてなのに妙に懐かしさを感じて、五条の脳内では当時の記憶が蘇る。
あのとき、形ばかりの卒業式を終えたあと、五条は教室でぼんやりと暇を潰していた。誰かのお節介か何なのか、式が終われば任務もなく、五条にとっては久々のオフだった。ほんの一年前なら喜べただろう休暇も、ただ無為に過ごすものとなってしまっている。
日の傾いてきた頃、脚も腕も投げ出して座る五条を見つけて、夜蛾は僅かに眦を下げて教室に入ってきた。そうして、見慣れないスーツ姿の彼に一つの箱を渡された。家入にも贈ったらしい。律儀な夜蛾のことだから、もう一つ、袂を分かった教え子の分まで用意していたのだろう。きっとこの先、渡すことはないだろうと理解していながら。
ささやかな感傷を振り払い、五条はキャップを外す。何せ十年以上は仕舞い切りだった品だから、書けるかどうかも怪しい。片付け忘れていたメモ帳を手繰り寄せ、グリグリと雑に螺旋を描く。
「…………書けるじゃん」
言葉通り、メモ紙の上には大小さまざまな変形した丸が並んでいる。今がトドメとなった可能性も、なくはないが。
いくつかの丸を諦め悪く足してから、五条はペン先を浮かせた。ガックリと肩を落として溜息もつける。
「書くかぁ」
こういうものは勢いだ。どうせ書きたい言葉はいくらでも出てくる。出てきてしまう。あとは照れやら何やらに、ほんの少し目を瞑るだけでいい。それが出来るかは別として。
滅多にない緊張を感じながら、五条はボールペンを握り直す。