しかしどうにも胸騒ぎが収まらず、五条は七海の病院に向かった。〝いつも気にしない〟のは何か起きても対処できる自信があるからだ。なら、こんなにも気が逸ってしまうのは、対処できない大事が起きそうだという予感があるからだろうか。自然と早くなる心臓に、五条は落ち着けと言い聞かせるほかない。
雨上がりの林道を競歩のような速度で抜けて、自動ドアに一瞬足止めされた五条は、エレベーターホールで表示パネルを睨み上げた。何でこんなときばかり、何基もあるエレベーターの全てが上階にあるのだろう。五条は焦れて、エレベーターから階段に移る。
靴裏を打ち鳴らすように進んで、エレベーターから近く階段から遠い病室のドアの前、五条は一呼吸置いた。実際、異変なんて起きていないのだろう。そんなことは五条も理解している。こんなに気が急く根拠は自分の直感だけで、誰かから報せが届いたわけではないのだから。ただの気のせいで先走りで早とちりの可能性は充分にある。今度は羞恥で熱くなる首を冷ますように、五条は深呼吸をして取っ手を握った。
そうして、五条が自身に言い聞かせた言葉たちは、良い意味で裏切られた。
ベッドの上、この前来たときはなだらかな傾斜を描いていたそこに、上体を起こした人影があった。グンと強さを増す日差しに照らされて、彼の髪はいつになくキラキラとしている。薄く開いた窓からは雨上がりのにおいのする風が吹き込み、カーテンを揺らした。まるで絵画のようだった。
七海が起きている。
だらりと投げ出すような手元からは乾いた紙の擦れる音がして、五条の耳にやけに響いた。音の正体なんて見なくてもわかる。何せ、せっせとそれを送っていた当人なのだから。
目の前で自分の送った手紙を読まれるなんて、とんだ羞恥プレイだ。しかもそれがラブレターのようだと自覚したのは、してしまったのは、つい最近だった。恥の上塗りだ。五条の内心は叫び出したいほどに荒れ狂っていたが、現実には指一本、言葉一つ吐き出すことができなかった。
七海が起きている――ただそれだけのことが、五条の喧しいとも評される口を塞いでしまった。
五条が身動ぎ一つできない間も七海は手紙を読み続け、ついには読み終えてしまったらしい。小さな音を立てながら手紙を封筒に戻すと、ようやく、七海は顔を上げた。パチリと合わさった視線を遮るものは何も無い。サングラスを掛けていない七海を、しかもアイマスクなしで見るのは随分と久しぶりのことだった。
「ななみ」
固まった思考に反して口が開き、しかし言葉は一つも出なくて空気を呑む。嬉し泣きはしないんだなと、頭の片隅で冷静なままの自分が呟いていた。
「……それ、読んだの」
動きの鈍い口からこぼれたのは端的な言葉で、素っ気なくて、責めているようにも聞こえる。しかし「私宛てのものなので」と、七海は怯む様子もない。そのままもう一度、封筒に目を遣るとほんのわずかに口角を上げる。
「アナタ、こんな手紙も書けるんですね」
笑い交じりに言われて、五条の喉元にはたくさんの言ってやりたいことが迫り上がってきた。けれどくすぐったそうに笑う七海があんまりにも可愛くて、五条の口は閉じたままとなった。