その違和感を、初めて母親に話したときのことはよく覚えている。冗談だろうと笑って聞いていたその顔が、段々と疑いと驚き、そうして悲しみへと変わっていったのだ。とても忘れられるものではない。自身の味覚に異常があると理解した五条は、それ以来ずっと、誰にも気取られないように生きていた。のだが。
それは「何となく」の重なった日だった。何となく駅で反対方向の改札を出て、大通りの先の住宅街を何となく散策し始めて。目的なく歩くうちに、五条は嗅いだことのないにおいに気付く。好奇心のままに進んだ先にあったのはパティスリーで、何のにおいか、謎は深まるばかりだった。
ドアベルを控えめに鳴らしながら足を踏み入れる。「いらっしゃいませ」という店員の挨拶は、五条の意識の外を流れていった。
初めて見るガラスケースの中は、すべてがキラキラと輝いて見えた。頭上の照明を受けてということもあるけれど、やはり心象によるところが大きいのだろう。並ぶケーキがどんな味なのか、未知のもの過ぎて想像もできない。
ガラスケースの中を目移りしながら吟味して、けれど五条の視線は、チーズケーキを見つけてピタリと止まる。五条が味を感じられる数少ない一つがチーズケーキだから、いつもならそれ一択だ。しかし今日だけは冒険をしてみたい気分にもなっている。さてどうしようかと、五条は眉間にシワを刻みながら真剣に悩み始めた。
結局、五条はチーズケーキを選んでしまった。箱から取り出してよくよく観察しても、見た目には何の変哲もないケーキだ。しかしその感想は、一口食べて覆った。
「おいしい……」
きっとこれが甘さというものなのだろう。初めて感じたその味に、五条は言葉で表しきれないほどの衝撃を与えられた。
黙々と食べ続けた五条は、皿を空にしてからようやく一息つく。そうして名残惜しく思いながら、箱に印字された店名を指でなぞった。