常連となって暫くのことだ。お互いに好意を持っていると勘付いていて、けれど二の足を踏む膠着状態の中、先に動いたのは七海だった。
「実は既存のケーキの改良を考えているんです」
「えっと、僕でいいの? バイトの子とかさ」
「いえ、どうしても……五条さんにお願いしたいんです」
懇願するような七海の声色に、勘違いかもしれないという懸念は消える。じっと見詰めてくる目からも熱を感じてしまって、五条は思わず視線を床に落とす。
「うん、まあ、いいよ」
途端に声も雰囲気も弾ませて、七海は厨房に引っ込んだ。いそいそとしたその背中を見送った五条は、イートインの端に収まる。ちんまりとした椅子で縮こまりながら、期待と不安で落ち着かない気持ちを持て余していた。
今まで食べたお菓子はすべて美味しかった。けれど素材そのままの果物だとか、甘さを感じられない食材はいくつかある。特にショートケーキの上に輝くイチゴは、七海の店で初めて遭遇した甘さの感じられない食材だった。五条としてはトラウマじみた記憶だ。
などと考えていたのは、虫の知らせがあったからなのか。テーブルに静かに置かれた皿の上には、赤と白のコントラストが眩しいショートケーキが乗っていた。けれどその赤いイチゴは、今店頭に並んでいるものよりもツヤツヤとしている。フルーツタルトのように何かコーティングされているのだろうか。
「イチゴは甘みの強い品種を選んで、シロップ漬けとナパージュ――透明なジュレを塗っているんです。その代わり、クリームはさっぱりとした甘さにしています」
甘味歴の浅い五条には理解できるはずもないが、それらしく頷きながらフォークを持つ。生クリームとスポンジとイチゴを一息に切り取って、そのまま口に収める。咀嚼して呑み込んで、今度は感動を伴って頷いた。文句なしに美味しい。その感動は飾る間もなく口から零れる。
「おいしい、すっごいおいしい」
五条の心からの言葉に、七海はホッとしたように小さく笑う。それから意を決したように、いつになく緊張したような硬い声でその言葉を口にした。
「好きです、恋人になってください」
言われるだろうと思っていたのに、その言葉を理解した瞬間、五条の爪先から頭の天辺まで熱くなる。みっともないくらい赤くなっているだろう。しかし心の片隅に「言われてしまった」という思いも過った。言葉にしなければ今までの居心地の良い関係を保てたのにという、八つ当たりのような感情だ。
七海の気持ちは嬉しいし、五条の気持ちもきっと筒抜けだ。けれど応えることは、五条には出来ない。
「七海、ごめん……僕は応えられない」
「……何故ですか」
はぐらかすことは出来る。けれど不誠実な態度をとるのは気が咎めた。たとえ決定的な溝に繋がるとしても、七海に対しては誠意を見せたいと思ってしまったのだ。
「僕、ちょっと変な体質で……その、甘さが感じられないんだ」
声が震える、視線も落ち着きなく泳ぐ。五条は急に酸素が薄くなったような気がした。
「それで……こんな欠陥のある僕じゃ、七海をしあわせに出来ない、から……」
「ふざけないでください」
いつもより低い七海の声に引きずられるように、空気も重くなる。七海の剣幕と居心地の悪さに、五条は肩を竦めた。
「アナタに幸せにしてほしいなんて言ってません。私はアナタと幸せになりたい、されるだけもするだけでも意味が無いんです」
何だかすごいことを言われているのかもしれない。グイと近付いた七海に顔を覗き込まれて、五条は思わず目を逸らした。
「それに、私のケーキは甘いんですよね。なら問題無いでしょう」
「そ、んな単純な話じゃないだろぉ」
「単純じゃないですか。私はアナタを好きで、アナタも同じ気持ちというだけですよ」
「それとも私の勘違いでしょうか」なんて、ちっとも思っていない声で七海は嘯く。その声から七海の熱が伝わってきて、五条は顔に熱が溜まるのを自覚した。