「お久しぶりです、五条さん」
記憶にあるよりも余程軽薄な態度で、五条は七海の目の前に現れた。数年越しに再会したというのにその容姿に衰えは感じられず、ただ、目元に巻かれた包帯の白さが違和感を覚えさせる。高専時代は光を透かさない真黒のサングラスだったから、再会するまでの歳月を一層と感じてしまうのだろう。もしかしたら感傷的になっているのかもしれない。
再会の場所として指定されたのは、七海の勤め先からも遠くない距離の喫茶店だった。カウンターで商品を受け取るタイプのこの店のロゴマークは、職場の同僚が出勤のお供にしていたので妙な親近感が湧く。鉢合わせしないといいが。
五条の到着を待つ間、七海はぼんやりとテーブルの上を眺めていた。退職届を叩きつけたことに後悔はしていないが、一連の流れに対して、何故だか気分が高揚しているようだった。滅多にないアドレナリンの分泌に、七海の心は一向に鎮まる様子を見せない。
そんな七海の胸中を知らず声を掛けてきた五条は、七海よりも浮き立っているように見えた。何なら、本当に地面から数センチは浮いていたかもしれない。大袈裟に振る舞っているだけかもしれないが、自分よりも浮かれている五条を見て、七海の心はほんの少しの冷静さを取り戻した。
「にしても急に電話してきてさ、僕が番号変えてたらどうするつもりだったの?」
甘ったるいクリームが主成分のコーヒーを片手に、「もしかして転職の相談?」などと五条は茶化す。その問いを肯定したら、彼はどのように表情を変えるのだろうか。
「そうです」
「は?」
正気を疑うような声を五条に返されるなど、七海にとっては心外極まりない。極まりないのだが、もし五条の立場になったなら同じような反応をしてしまう確信があるから、胸中の反発を口には出さなかった。七海とて、自身の急な方向転換に対して「何を今更」という思いがあるのは否めない。
「呪術師に復帰しようかと思いまして」
「オマエ、今、サラリーマンだろ? ソッチはどうすんだよ」
「退職してきました」
「ハァ!?」
五条の持っていたカップはその握力に耐えかねて、大きくヘコむ。盛りに盛られたクリームは辛うじて飛び出していないが、それも時間の問題かもしれない。七海の視線の先に気付いた五条が力を緩めて、危機は過ぎ去ったが。
「復帰って……もしかして、おカネが無いとか?」
「ハァ?」
的外れな予想に、七海は思わず呆れた声を漏らしてしまった。五条も七海の声色から勘違いだと察したのか、しどろもどろに弁解をし始める。
「いやだって、フツーの会社行ったのに、ワザワザ呪術師に戻るとか……オカシイだろ」
七海も心から賛同する意見だが、それを現役の呪術師が口にすることに対しては、違和感しか覚えない。しかしワザワザだとかオカシイだとか称しながらも呪術師を続ける理由など、五条に聞いても詮無いことだ。彼はこの世界でしか生きられないのだから。
「……とりあえず、有休を消化してから復帰するので」
「え〜、転職の動機とか? 弊社を選んだ理由とか? 何かあるでしょ」
「社会人として常識だろ〜」と茶化す五条は、一瞬前の狼狽の素振りも感じさせない。五条の調子が戻ったのを感じて、七海はひっそりと安堵の溜息を吐いた。
「アナタには常識を語られたくないですね」
「僕が常識無いみたいな言い方すんじゃねーよ。ホント、カワイクない後輩だな」
「みたい」どころか、七海としては直球で非常識だと指摘したつもりだった。が、無意味な戯れ合いを続ける気のない七海は、大人しく口に蓋をする。一を言い返せば十どころか百は返してくるのが五条悟という人間だ。堪えきれなかった溜息だけが、ほんの少し溢れてしまった。
「それで、その間に基礎から鍛え直したいのですが」
「うーわ物好き! そんなの、復帰してから追々でいいだろ」
「復帰ですからね。初任務から無理難題を押し付けられることも充分に有り得るでしょう」
「あー、まぁね」
呪術界の闇を七海よりも余程知っている五条は、積極的に肯定はしないが否定もしない。つまりは消極的な肯定だ。
「鍛え直しねぇ。場所は高専の稽古場を使うとして、誰の指導を受けるつもり?」
「一人でやりますよ」
「確かに、オマエは基礎が出来てるからそれでも大丈夫かもしれないけど」
言葉を切った五条が、ずいとテーブルを乗り越えて顔を近寄せてきた。ふわりと甘い匂いが届く。
「目の前にこれ以上ないくらいの適任者がいるでしょ」
「……アナタ、指導なんて出来るんですか?」
年甲斐もなくドクリと大きく鳴った心臓を宥めるように、七海は呼吸を深くする。動揺したことを見抜かれたくなかった。
「僕ほどのグレートティーチャーはそういないよ」
ニンマリと、五条は口角を左右対称に吊り上げて笑う。その満ち溢れる自信に呆れながら感心して、けれど「一理ある」と七海は考え直す。五条に教職の適性があるかは別として、現役の、しかも最強の呪術師に稽古をつけてもらえるなんて贅沢な話ではないか。
「……そうですね、お願いいたします」
「素直でよろしい」
満足そうに笑みを深めた五条は、前のめりになっていた上体を戻す。一緒に遠ざかった甘い匂いに、七海の腹の奥に溜まりかけた熱は霧散した。
「そうだ、歓迎会はいつにする?」
クリームとコーヒーをストローで撹拌しながら、五条は今思い出したという態度で聞いてくる。五条のことだから、事実、思い付きでの発言なのかもしれないが。
「やりたいんですか?」
「んや、やるもんじゃないの? 僕は知らないけど」
「やりたいわけでないなら、やらなくて良いと思いますよ」
クリームと混ざって粘りけと重さを増したコーヒーを吸いながら、五条は片眉だけを上げて不服を表情で示す。器用だなと、七海は素直に感心してしまった。
「遠慮ばっかしてカワイクないな」
「遠慮ではありません。お断りしてるんです」
ズッと最後の一滴まで吸いきった五条は、ストローから口を離してわざとらしく溜息を吐いた。そのとき漸く、七海は甘い匂いの正体を理解した。
「ま、いっか。いつでも出来るしね」
「だからお断りしていると……」
五条の傍若無人ぶりを思い出した七海の溜息は、五条の吐いたそれよりもずっと深かった。
◆ ◆ ◆
「カンは取り戻せそう?」
「……指導者の手腕によりますね」
膝に手をついて肩で息をする七海に対し、目の前の五条は隙さえ窺えそうな立ち姿を晒している。そんな余裕ある態度の五条へのイラつきは、七海の鋼の理性を以てしても抑えきれずに嫌味が零れてしまった。幸か不幸か、言われた五条は気に病む素振りも見せていないが。
「なら大丈夫だね、指導者はこの僕なんだから」
本音か冗談か区別のつかない五条の言葉を無視して、七海は体を伸ばした。汗は引いていないが息は整っている。あともう一本、と構えたところで、五条は二回手を打ち鳴らした。
「やる気満々なところ悪いけど、今日はおーわーりー」
「闇雲にやっても意味無いよ」と宥める五条は確かに教師の顔をしていて、渋々と、七海も帰り支度を始める。身一つでいる五条とは違い、七海は水筒にタオルなど、細々としたものを持ち込む必要があった。荷物を仕舞う七海に、五条は「そうだ」と殊更に明るい声を投げ掛けた。
「これからご飯食べに行かない?」
七海のバッグを挟んで正面に、五条はしゃがみ込む。目線の高さはそう変わりないのに、下から覗き込む五条のサングラスの奥は、上目遣いに七海の目を見つめ返す。光を通さない暗いレンズの隙間で燦めく青色に、七海は釘付けになった。コクリと息を呑む音が耳に響く。
「……いえ、遠慮します」
「まぁた遠慮かよ」
唇を尖らした五条は、しかしすぐに興味を失ったのか、立ち上がって背中を向ける。五条の目が見えなくなったことが、七海にとっては残念でならなかった。
「そんな遠慮することなくね? 僕の奢りなんだから」
「奢りだからとか、そういう話じゃありません」
単純に、七海は五条との関わりを出来るだけ少なくしたいのだ。教職に就いて丸くなったのか、今は鳴りを潜めているが、高専時代の五条は傲岸不遜な振舞いの目立つ人物だった。生徒数の少ない呪術高専でなかったら、七海としては避けて通っていただろう気性の持ち主だ。
実際、生徒に対しては物腰柔らかな態度を心掛けているようだが、上層部とは今も苛烈にやり合っているらしい。面倒事に巻き込まれたくない七海にとっては、交流を深めたくない理由がドンドンと積み上がっていた。稽古をつけてもらっている現状では説得力のない話だが。
「ま、オマエの言いたいことはわかるけどね」
背を向けたまま突っ立っているだけの五条は、それでも立ち去る素振りを見せない。もしや七海の身支度が終わったら、なし崩しに食事に連れて行くつもりなのだろうか。バッグのチャックを閉める手が止まる。
「僕ってば人気者だから、独占するとなると遠慮しちゃうよね」
ウンウンとしたり顔に頷く五条を無視して、七海は勢い良くチャックを閉める。勢いが良すぎて壊れそうだった。
「帰ります。お疲れ様でした」
「はいはいオツカレサマ、明日も忘れずに来いよ」
「……明日も来るんですか?」
「何だよ、来るなって? それとも僕のこと暇人て言いたいわけ?」
「いえ……」
そこまでは思っていないが、近いことは感じている。
何せ、高専時代の五条といえば、多忙を体現したかのような働きぶりだった。あのときから状況が好転するとも思えないから、きっと今も忙しく、祓除に教育にと駆け回っていることだろう。しかしこうも頻繁に稽古を見てもらって食事に誘われれば、思い違いだったのだろうかと考えてしまう。そんなことは無いだろうけれど。
「なんてね。僕も忙しいから、明日はちょっと寄るくらいかな」
「そうですか」
ちょっと困ったようなその笑顔に、七海は五条なりの気遣いを感じてしまった。高専時代の五条は、そんな素振りを見せるような人間ではなかったはずなのに。
予想に反して、五条は軽口も叩くことなく稽古場を後にした。その背中を見送りながら、五条を前にすると高専時代のことばかりに思いを馳せてしまう自分を、七海は自覚した。
◆ ◆ ◆
「よ、今日も頑張ってるね」
「…………はぁ」
翌日、五条は宣言通りに、七海の前に現れた。その格好は七海に稽古をつけるときのラフなものではなく、どうやら任務があるというのは事実らしい。休憩中の七海は座り込んだまま、胡散臭く感じられるほど明るい声を上げる五条を見遣った。
溜息とも相槌ともとれる七海の曖昧な返事を気にもせず、五条はズカズカと稽古場に入ってくる。その左手には、七海も知るパン屋のロゴ入りの紙袋を携えていた。お気に入りのハードパンの香りまで漂ってきた気がして、七海の本日の昼食は件のパン屋のカスクートに確定した。
「そんな頑張り屋の七海クンには、五条センパイからの差し入れがありまーす」
「……ありがとうございます」
眼前に突き出された紙袋を、七海は躊躇いがちに受け取った。手の中に紙袋を収めると、先程まで感じていたパンの香りが気のせいでなかったことがわかる。五条の視線に促されながら、閉じた状態でも食欲をそそる香りを振りまいていた紙袋を開く。中には具沢山のサンドイッチが入っていた。
「オマエの好きなやつ、売り切れててさぁ」
「いえ……」
「ありがとうございます」と、次々と湧き上がった感情が零れ落ちないように噛み締めるように呟いた。傍若無人な振舞いばかり目につくが、五条は他人を気に掛ける余裕を持っているのだ。数少ない後輩ということで目を掛けてもらっているだけで、七海が特別なわけでは無い。
「ま、ここじゃ食べられないし。ちょっと休憩しなよ」
前屈みになっていた上体を起こして、「じゃーね」とだけ言葉を残した五条は振り向きもせずに稽古場から出ようとする。その後ろ姿に、七海は慌てて腰を浮かす。アレコレと文句を言っても結局は一緒に昼食をとることになると思っていたから、五条の行動は予想外過ぎた。
「アナタは食べないんですか?」
言葉にしてから、失敗したと思った。これでは七海のほうが食事に誘っているようではないか。事実そうなのだが、もっと他に上手い言い回しがあっただろうにと、失言を自覚せざるを得ない。心底楽しそうに揶揄ってくる五条が目に浮かぶようだ。
けれどまたもや予想に反し、五条は振り返りすらしなかった。辛うじて足を止めて、ほんの僅か顔を傾けて、素っ気なく七海の誘いを断る。
「任務あるから」
そうして今度は言葉も残さずに離れていく五条を、七海は黙って見送るしかない。七海の手元には、差し入れとして渡された紙袋と、五条は本当に差し入れのためだけに来たのかという疑問だけが残された。
◆ ◆ ◆
「やーやー、オツカレサマー!」
「……お疲れ様です」
崩れ去る呪霊に警戒を怠らずに、七海は闖入者を見遣る。突き刺さりそうなほど険のある視線だというのに、真正面から浴びた五条は平然とした態度を崩さない。七海とて、五条がそれくらいでビビるような可愛げを持ち合わせているとも思わないが、堪えた様子もなければ苛立ちが加算される。それは七海の眉間のシワで表されたが。
帳を解除して駆け寄る補助監督を片手で制すると、五条はガバリと七海の肩に腕を回す。無闇に親密さをアピールしにきている。この時点で、五条が何の話をしたいのか、七海には予想できてしまった。
「これから食事でもどーお?」
「遠慮します」
「ほら来た」というのが、七海の正直な感想だ。五条のマイブームなのか知らないが、復帰を決めてから、やたらめったら食事に誘われる。先日の差し入れだって、痺れを切らした五条の強硬手段に思えて仕方がない。餌付けだろうか。
七海のスケジュールも何処からか漏れているのか、絶妙に断りにくいタイミングを狙ってくる。七海としてはさっさと廃れてほしいと思うばかりだ。
「あれから歓迎会だって出来てないしさぁ」
「それも遠慮します」
「肉でも寿司でもオッケーだよ? 僕のお気に入りだから味の保証もばーっちり!」
「……遠慮します」
一瞬、天変地異が起きたのかと思うほどに、七海の心が揺れる。五条お気に入りの店で食べる料理は、食に拘りたい七海にとってはそれほど魅力的だった。
唇を尖らせながらブウブウと喧しい五条を横目に、七海は補助監督に向き直る。背中に定規を仕込んでいるような直立不動のその姿勢からは、可哀想に感じるほどの緊張が見て取れた。
「高専まで車を回していただけますか?」
「はいっ」という上擦った返事を聞き届けると同時に、肩に掛かっていた重さが増した。
「なになに、先輩の誘いを断るほどの用があんの? 付いてってやろうか?」
「お断りします。今日の報告書を出すだけなので」
「オイオイオイ、何で断り文句を強くすんだよ」
五条のウザ絡みに、七海は心底から辟易していた。五条にもそれは伝わっているだろうが、そんなことでへこたれる相手ではない。逆にグイグイと体重を掛けてくる五条を押し返すことに必死で、視界の端で二人の攻防を止めかねている補助監督に気が回らないほどだった。
「報告書なんて今日じゃなくても大丈夫だろ、ねぇ?」
駄々をこね続ける五条に急に水を向けられて、補助監督は跳び上がりそうなほど驚いていた。どこか小動物を彷彿とさせる反応だ。その挙動に、今この場にはいない一学年下の優秀な補助監督を思い出してしまった。
またもや裏返った声の肯定を受けて、五条はニンマリと口角を持ち上げて笑う。その笑顔はチェシャ猫のようだ。
「じゃ、肉にするか寿司にするか考えとけよ。僕はこれから」
そのとき、五条の声よりも軽快なメロディが響いた。発信源にいち早く気付いた五条は、流れるような動きでスマホを取り出した。服という遮蔽物が無くなり、軽快すぎて落ち着きなく聞こえる着信音はより大きな音で響く。その音量に七海は思わず顔を顰めた。
「はいはい、五条ですよっと」
とても敬語を使っているとは思えない態度の五条は、そのまま二言三言、電話口で言葉を交わす。最後には控えめな舌打ちをして、うんざりしたように通話を切った。
「はーあ、残念、タイムアップだよ」
至極残念そうな声色を使っているが、七海から離れる五条の顔にも仕草にも未練は微塵も感じられない。電話で告げられた用件への反感のほうが、余程根深そうだ。
「メンドーなお仕事のあとにはカワイイ後輩とご飯食べにいきたかったのに、振られちゃうなんて」
「僕カワイソウじゃない?」と戯ける五条の視線の先には主張の薄い補助監督のがいて、肯定もしづらい話題に苦笑いを返している。
「任務が入ったんでしょう。さっさと行ってください」
「もー、お邪魔虫は退散しろって? 薄情な奴だな」
「七海のバーカ」と小学生でも言わないような捨て台詞を残して、次の瞬間には、五条の姿はその残穢とともに消えた。自身の術式を便利に使う五条だが、ただの移動にまで使うのは珍しい。随分と切羽詰まった任務だったのかもしれない。
漸く去った嵐に深い溜息を一つ吐いて、七海は補助監督を振り返る。まだ今日の任務は終わっていない。
「七海術師は、五条術師と仲が宜しいんですね」
「……そう見えますか」
車内に一呼吸分の間を落としてから、七海は消極的に否定した。これが家入や伊地知なら、無礼を承知で舌打ちをしたかもしれない。
けれど相手は、復帰してからの付き合いの補助監督で、辛うじて知人と呼べる状態だ。親しき仲以上に礼儀が必要だと心得ているから、七海はぐっと堪えた。代わりに気取られないように溜息を吐いた。
「高専に通っていた時期が被っていた、というだけですが」
真っ直ぐに前を向いて運転する補助監督の表情は、後部座席に座る七海には窺えない。何か言い淀んでいるらしいことは察せた。きっと、七海の言い分に納得できないのだろう。
タイミングが良いのか悪いのか、交差点の手前、信号が黄色に切り替わって車は緩やかに停止する。雑談に花を咲かせても支障がない状態になってしまった。
「五条術師は、何というか……もっと浮世離れしたイメージがありました」
補助監督はそれでも信号から目を離さずに、言葉を選びながら口を開く。オブラートに包んでいるが、「世間知らず」と言いたいのだろう。それは高専時代、五条の突飛な行動を目にするたびに浮かんだ七海の感想と同じものだ。七海のほうは現実逃避も含まれていたが。
「一度、五条術師に助けていただいたことがあるんですが、そのときも指先だけで祓っていて……」
途端、補助監督の声に陶然とした熱が籠もった。
五条より年上の呪術師は自尊心を傷付けられて逆恨みする者もいるが、五条より年下の呪術師はその強さに憧れる者も少なくない。斯くいう七海も、高専時代の五条の言動を知らなければ信奉者の一人となっていたかもしれない。五条に冠せられた最強という称号は、呪霊との消耗戦を強いられる呪術師にとって希望となり得てしまうのだろう。
「……五条術師の夢を聞いたことはありますか?」
「えぇまあ……一度だけ」
いつだかの稽古の休憩中、雑談の合間に五条が語っていた。内容は世間話で済むような軽いものではない気がしたが、それを堂々と語る五条は、七海にはとても眩しく見えてしまった。
「あれを聞いて、五条術師なら成し遂げられるんじゃないかと、その手伝いを微力ながらしたいと自分は思ったんです」
言葉を区切って、軽く俯いてハンドルを握り締めながら、運転席に収まる彼は深呼吸をする。それは昂ぶった感情を抑えつけるような長い一呼吸だった。信号が切り替わり、二人を乗せた車はまた滑らかに走り出す。
「すみません、こんな益体もない話ばかりして……」
「いえ、そんなことは」
「ただ、五条術師には敵も多いので」
直線をひた走る車内に、一瞬の沈黙が落ちる。
「自分は、七海術師も同じ思いでいてくれたら嬉しいです」
それきり、二人ともに口を開くことはなく、高専に到着するまで車内には走行音だけが響いた。