管理人の話

今日もまた、住人との朝の挨拶から始まる。
実を言うと神尾は、朝以降で五条と遭遇したことがなかった。余程朝早くから夜遅くまで働いているらしい。
「おはよーございます」
今日も朝から輝く笑顔を見せる五条は、珍しくアパートの敷地外から歩いてきた。腕には茶色の紙袋を抱えていて、そこには神尾も知っている近場のパン屋のロゴが印刷されている。
焼き立てなのか良い香りも漂っていて、久しぶりに買いに行こうかしらと今日の予定に加える。
そのままアパートに入っていくと思った五条は、しかし神尾の近くで足を止めて微笑んでいる。これは世間話に付き合ってくれるということかしら。
「そのパン屋さん、公園の向こうのでしょう?」
とりあえずは、と量に呆気にとられそうになる腕のなかの紙袋に話を向ける。すると
五条は照れたように眉尻を下げ、紙袋を大事そうに抱え直した。
「ここ、彼が美味しいって教えてくれたんです」
いつものアルカイックスマイルが嘘のようにくしゃりと顔全部で笑う五条は、尚も「彼」とのやり取りを言い募っている。
あら、あらあらあら。
神尾の思考が感嘆詞で埋め尽くされる。
どうやら付き合わされた物は惚気話で、付き合わされた者は神尾のほうだったらしい。